TOPへ  SSリスト  <<第十一話  >>第十三話(前編)



 「無じる真√N12」




 大陸を震撼させた黄巾党により引き起こされた動乱"黄巾の乱"も治まり、僅かだがそれでも大陸に安息がもたらされ始めたある日のこと。

 †

 幽州、北平郡。
 黄巾党により引き起こされ、大陸を震撼させるほどとなった"黄巾の乱"、それも諸侯の活躍によって治められ、大陸に一時としか思えないが安息がもたらされたある日のこと、趙雲――字を子龍といい、真名を星という――は用事があってとある部屋へと足を運んでいた。
 そこは、北平を中心とした周辺一帯を治める太守、公孫賛――字を伯珪といい、真名は白蓮――が主を務める城の一角……玉座の間だった。
 そこには、客将の一人である趙雲自身と城の主である公孫賛、そして……二人の関係者である少年一人を含めた三人だけがいた。
「自分が尽くすべき主を今一度見極めるため、旅に出ようと思います」
 それが、公孫賛に暇を頂きたいと願い出た趙雲がその理由として述べた言葉である。
 彼女がそう述べたのには訳があった。
 趙雲は以前より誰にも言うこともなく一人考えていたことがあった。それは自らが長きにわたって尽くすべき主というものについてだ。
 趙雲は、その主としてふさわしいだろう人物をおおよそ――九割程度だろうか――は目星を付けるまでに至っていた。
 そして、大陸に一時とはいえ安息が訪れたこの時を良い機会だと彼女は判断した。改めて各国の諸侯、その中にいるはずの英傑を見極め、真に自らの主たりえる人物を今一度見定める。
 それは今しかない、そう趙雲は決断し、ついに行動に移したのだ。
「そうか、少々寂しくなるな……」
「それに私がしていた分の仕事も増えますゆえ、いろいろと大変でしょうな」
「それは、まぁ手が空いてる人間がいるからな」
 少しばかり意地悪く言う趙雲に対して公孫賛はちらりとともにいる少年の方をみる。少年……北郷一刀が一連の流れに苦笑を浮かべている。
 決して、嫌がるわけでなく……それでいて無理はしない。どことなく好感の持てる人だと趙雲は評価していた。
 もっとも、共に仕事をサボるようなところもあり決して真面目一辺倒でもないが。まぁ、それは同様に仕事をサボることのなる趙雲にとっては問題なかった。
 その代わりに、公孫賛が彼の不真面目さに頭を痛めてはいるのだが……。
 そんな趙雲の見立てにそぐわずに少年は苦い笑みのまま頬を掻くだけで嫌そうな顔をしない。
「まいったな……ま、確かに俺はまだまだ手が空いてるからな」
「というわけだ。存分に各地を見てくるといい」
 口元に微笑を称えながら強く断言した公孫賛に、趙雲は頷き返す。
「えぇ、もちろん」
 そして、すぐに「失礼」と一礼だけして趙雲は部屋を後にした。その後を追うように一刀が部屋を出て駆けよってくる。
「星、ちょっといいかな?」
「おや、何かおありですかな?」
「あぁ、ただここじゃちょっと話しづらいからな部屋に行こう」
 一刀が先に進んでいくのに対して趙雲もすぐに後を追う。
 そうして一刀とともに趙雲は彼の部屋へと足を運んだ。
 席に着いた後もなかなか話しださず腕組みをして険しい表情で唸る一刀に趙雲はあえて自分から切り出してみることにした。
「それで、如何なる用があって声をおかけになったのですかな?」
「……その、ちょっと頼みたいことがあってね」
「頼み事?」
 趙雲が視線で訊ね返すと、一刀の顔から険が抜け、今度は神妙な面持ちになる。
「あぁ……星は旅に出るって話をさっきしたろ?」
「えぇ、そうですな」
「そこで、だ。星が旅で自分の主を決めたとする。多分なんだけど、その人の元へと星が行く前か後にこの大陸で大きな動きがあるはずなんだ。その際に星さえよければ……というか、可能なら様子を伺ってみてほしい場所があるんだ」
 何故か断定的な口調で語る一刀。趙雲はそれを不思議に思いつつも一先ず頷く。
「それで、一刀殿がおっしゃる場所とは一体何処なのですかな?」
「……長安、そして洛陽だ」
「長安と洛陽ですか……それはまた何故?」
 洛陽といえば古くより都として栄えてきた土地である。そして長安はかつての古き時代に首都であったこともある場所だった。
 それが今何故?
 そんな疑問を抱きつつも趙雲はただ一刀の返答を待つ。
「詳しいことは言えない……だけど、きっと星の……いや、星が認める主にとっても非常にためになることだってことだけは絶対だ」
「ふむ、では大陸で何か大きな動きが起こった後に洛陽の様子を見ればよいというわけですか……」 
 顎に手を添え、自身に確認させるように趙雲は呟く。
「頼めないかな?」
「まぁ、構いませぬよ」
 尋ねられた星は、考える素振りを止める。
 目の前の少年が何を企んでいるのか、また洛陽、長安に何があるのだろうか……そして、彼は何故それがわかるのだろうか、様々な疑問に頭の中を埋め尽くされながらも趙雲は了承の意を伝える。
 一刀は真剣な表情のまま身体を前のめりにして趙雲に詰め寄ってくる。なのに彼の全身からはどこか非常に喜びを帯びているのが感じられる。
「そっか、それじゃあお願いするよ」
「えぇ。では、準備がありますゆえこれにて失礼させて貰います」
 一刀の様子に首を傾げそうになりながらも趙雲は一礼して部屋を後にした。

 †

 目の前でゆっくりと閉まる扉から目を離すと一刀は寝台へと身体を倒した。
「……月」
 そう呟きながら一刀はすっと瞳を閉じた。瞼の裏側に一人の少女の姿がくっきりと浮かび上がってくる。
 それは、かつての自分が出合った大切な存在の一人、そして大陸の動乱、その中心に巻き込まれた少女。
 ――そして、この世界でも少女は巻き込まれるに違いない。
 それは半ば確信として一刀の心を占めていた。
 とはいえ、恐らく彼女が巻き込まれていくのを知っているのは、今のところ自分だけのはず、つまり一刀以外の誰かが動くということはほぼ完全にあり得ない……そこまで考えると一刀は自らに問いかける。
(それなら……俺はどうする? そりゃあ、もちろん――)
 そこで思考を締めくくり一刀はむくりと上体を起こした。
「やるしかないよな……」
 そう呟くと、一刀は一つの決意を胸の内に秘めながら立ち上がった。
(まず、一つ目の手は打つことができたな)
 大陸に"一時"の休息が訪れたあの日から一刀はすぐにとある計画を練っていた。そしてその第一段階が今終了したのだ。
 この計画は、一刀自身、そして公孫賛軍のことだけでなくその他のことまで目をやりながら考慮し、何度も作り直してきたものだった。
 そして、その結果制限付きとなった。
 できた制限……それはもちろん各国の諸侯たちと、ここ北平の太守である公孫賛との力の均衡を考えん入れたがゆえのものである。
 力の均衡が一刀の計画とどう関係するのか。それは至って単純なことだった。この先起こる大きな動乱では各地の諸侯たちが一堂に会することとなる。
 そして、もしも事が起こったときに一刀が表立って行動したとすれば、恐らくはその集まった諸侯たちから公孫賛軍が睨まれることになる。
 それだけは避けなければならない。そう思ったからこそ一刀は自らに対して行動の制限を設けたのだ。
 そうして作り上げた計画は、未だ"そのとき"ではないため、本格的な実行までには及んでいないのである。
 そう、その計画は戦乱という一つの舞台の上でなければ不可能なのだ。だからこそ、一刀は"そのとき"を待つしかないのだ。
「後は……アレを待つのみだな」
 深く深く、どこまでも深く息を吐き出しながらそう呟くと一刀は何げなく外を見た。青い空が果てしなく広がっている。
(この先、本当に"あれ"が起こったとしても……彼女たちには、この空のように澄み渡った心を失わせない。絶対に!)
 未だ、機は熟せず……それが現段階を表すうえではぴったりの言葉。だが、一刀自身は既にもう準備ができており、やる気に満ちあふれていた。
 その翌日、一刀は城門の前に来ていた。目の前には旅用の荷物――とはいっても大した量ではないが――を持った趙雲がいる。
「それじゃあ、元気でな」
 そう言って一刀は手を差し出す。ちなみに公孫賛はこの場にはいなかった。彼女は君主としての仕事に追われ、この日は不幸なことに時間が取れなかったのだ。
 そのため、この場にば一刀のみが見送りとしてやってきているのだった。
「えぇ、再び大陸に動きがあれば、お会いすることもありましょう」
 一刀の手を力強く、それでも痛くはない程度に握りしめて趙雲が微笑を浮かべる。そして、握手を交わすと趙雲はさっさと城門を後にしていった。
 遠ざかる趙雲の背を視線で追い続けながら一刀はぽつりと疑問を漏らす。
「それにしても……星はどの勢力につくつもりなんだろ?」
 一刀は趙雲からそのことに関しては何も聞かされていなかった。というよりも教えてはくれなかったのだ。
 かつて、劉備が誘いの声をかけたときも趙雲は何やらある程度決めた相手がいるような口ぶりだったのだが、その時も誰なのかは言わなかった。
 その後も、一刀が何げなく聞いても『秘密があったほうが良い女というものですぞ』と切り替えされて結局教えてはもらえなかった。
(ホント、この外史における星はどういった道を歩くんだろう)
 そう思う頃には、もう趙雲の姿は見えなくなっていた。

 †

 それからの一刀は公孫賛軍の元、仕事をこなしていく日々を送り続けて機を待ち続けることしかできなかった。
 一刀にはそれが無性に悔しく感じられた。
(俺がこうしてる間にも……彼女たちの元へと徐々に)
 危機という名の闇が迫り来る……そう思うだけで胸が針で刺されたようにちくりと痛む。そして、その針の太さが日に日に太くなっていく……一刀はそれを痛覚とともに実感していた。
 そんな一刀の心情も関係なく、大陸に一つの動きは起こった。それは一刀が待ちに待っていた、それでいて不安に思っていた事だった。
 ――漢の皇帝である霊帝の死。
 そして、それに伴って十常侍らによって引き起こされた皇位継承争い。
 その結果は、何大后の息子"小帝弁"の擁立という形で落ち着いた……かに見えた。
 だが、それからすぐに、大将軍であり、何大后の兄である何進が暗殺され、何大后も殺害されることとなった。
 そうして邪魔者を消し去った十常侍も只では済まなかった。十常侍は自分たちが殺害した何進の部下たちによって襲われることとなり、数名が命を落としたのだ。
 それでも、中心として暗躍していた張譲はその襲撃から逃れ、小帝弁と、その少帝弁と同じく霊帝の子――位置づけは二子――である劉協を連れ、都より脱出し涼州の董卓を頼り、迎え入れた。
 だが、結局張譲は董卓の元でその身を滅ぼすこととなったという。
 その董卓が次に行ったのが暗愚と言われる小帝弁から聡明と評判の劉協への王の座……その変移だった。
 そのことに関して、一刀は他の者とは異なる感想を抱いていた。
(恐らく、これはゆ――董卓自身ではなく、"彼女"の判断だろうな)
 彼は知っているのだ。董卓の傍らに聡明な少女が存在することを……。

 †

 朝廷を襲った激震は劉協こと献帝の擁立によって一先ずの決着を迎えたように思われた。だが、そこから新たな動きが起こった。
 劉協の即位後、それらの一件のごたごたが落ち着くまもないころのことだった。
 反董卓連合結成の檄文が諸侯へ飛ばされたのだ。
 それは無論、北平を中心に一大勢力を築いている公孫賛の元へもである。
 その檄文を受けると公孫賛はすぐさま諸将に召集をかけた。もちろん、その中には他の諸将と同じように一刀の姿があった。
 軍の将たちが集まると、すぐに軍議が開かれた。
 もちろん、反董卓連合についてどうするかということに関してだった。その内容が内容だけに場の空気は淀んでおり、一刀はその目に見えない空気という存在が肩に重しのごとくずしりとのしかかっているように感じられた。
 そんな重苦しい雰囲気の中、公孫賛が反董卓連合結成の呼びかけまでの流れの大まかな説明を一から始めた。
 既に私的な場で逐一聞かされていた一刀はそれを身体に酸素を取り入れるがごとくに意識せずに耳へと入れていた。
 一刀は軍議の間へと通されてからずっと心構えをするために深呼吸を繰り返し、思考を鮮明なものへと変えるとに神経を集中させていた。 そう、この場にいる者たちを説得するためにしっかりとした話ができるようにと。
 その間にも公孫賛の説明は続きようやく終幕を迎えようとしていた。
「……なるほどな」
 公孫賛の話が終わるのに合わせて一刀はもっともらしく首を縦に振りながらそう呟いた。
「さて……我々は、この連合に参加するべきだと、私は思っているのだが、皆の意見はどうだ?」
 そう言って、白蓮が集まった臣下たちを見回していく。対する諸将の反応は皆、一様に肯定的な言葉によるものだった。
 その場の大多数が問題なしという答えるのも自然の摂理というものだった。
 実は、董卓に関する圧政の噂が流れており、それは公孫賛の領地にも届いていた。
 その上、今回送られてきた檄文にも噂と同じ事が書かれていたのだ。それらの要因が重なったことで諸将の多くは反董卓連合への参加に積極的な態度を示していたのだ。
 彼らと同様には状況を捉えていない一刀は未だ腕組みしたまま石像のように物言わぬまま微動だにしていなかった。
「未だ口を開いていないようだが、一刀はどうだ?」
 さすがに痺れを斬らせたのか公孫賛が一刀をじっと見つめる。
 参加に肯定的な雰囲気の中、一人だけ能面のごとき無表情を浮かべたまま一歩引いた形で諸将を眺めていた一刀はその口をゆっくりと開いた。
「俺は、参加すること自体には反論はない。ただ」
 更に続けようとする一刀に場の視線がぐっと集まってくる。彼が完全に乗り気であるとは言えない……そう感じたのだろう。
 当の一刀は疑わしげなものや純粋に疑問に彩られた視線などを気にもとめずに続けていく。
「白蓮は疑問に思わないのか?」
「どういう意味だ?」
 一刀の言葉に対応したのは公孫賛だった。一刀は彼女をまず見、次に少々を見回し公孫賛へと再び視線を戻すと、机に置かれていた"袁本初"より送られてきた檄文をそと手に取り左右に振ってみせる。
「この檄文だよ。これの信憑性がどれだけのものかってこと」
「なるほどな……一方的な言い分なのは確かだ。それに圧政もあくまで噂とそいつに記されているだけのこと。私たちに確証をもたらすにはちと説得力が足りないんだよな。それにあいつのことだからな……もしかしたら、黄巾の乱の際、そして今回と二度も大きく目立った上に、朝廷を掌中に収めた董卓への嫉妬の可能性もありそうだ。もちろん他の諸侯もな……」
 一刀の示した部分に公孫賛はすんなりと同意した。どうやら、彼女もまた同じ部分に疑問を感じていたようだ。
 そのことに一刀は安堵のため息を漏らす。信じていなかったわけではないが、もしものことを考え公孫賛の真意を探ったのだ。
 そして、彼女自身も名誉や自分の利得のためだけに動こうとしているわけではないことがわかり、最後の確認をするように一刀は公孫賛へと問いかける。
「そこまで予想はできているけれど、これに書かれているのが真実である可能性は捨てきれない。そう思ったからこその参加決定……そう考えて良いんだよな? 白蓮」
 一刀は檄文を机に戻しながら公孫賛の瞳に視線を留める。彼女の返答を一欠片も漏らさぬとばかりに。
 そんな一刀に対して公孫賛は大きく首を振ってみせる。
「あぁ。もし、この檄文が事実だった場合、参加しないというのは洛陽の民を見捨てるってことになるんだからな」
 語るうちに力が籠もったのか拳を握りしめる公孫賛を見つめながら一刀は内心で苦笑していた。
(まぁ、暴君董卓なんて真実である可能性……皆無なんだけどな)
 その苦笑は、真実を知らずメラメラと大義の炎を燃やす公孫賛に対してではない……真実を知りながらもこの場で告げない自分に対してのものだった。

 †

 急な召集をして反董卓連合についての説明と各人の答えが是非のどちらかを確認し、最終的に参加決定で落ち着いた軍議は終了した。
 諸将は各々、準備のために即座に退室していったが、一人だけ残っている者がいた。天の御使いとして拾い、今や公孫賛軍の一員となった北郷一刀だった。
 彼は何も言わず部屋に残ったまま公孫賛以外のすがたが消え去るのを待ち続けていた。
 そして、二人きりになったところで一刀が語りかけてきた。
「なぁ、白蓮。ちょっといいかな?」
「ん? どうした」
「あぁ……その、ちょっと渡したいものがあってな」
 言いにくそうに視線を漂わせながら一刀が頬をかく。
「今すぐにか?」
「あぁ、できればな。いや、絶対に速いほうが望ましい」
「わ、わかった」
 今までの頼りない様子から急に表情に真剣さを滲ませる一刀に公孫賛は思わず一歩下がってしまう。
 そんな公孫賛の心の機微など理解して否であろう一刀は懐に手をごそごそと忍ばせると、一本の竹簡を取り出した。
「それじゃあ、これを」
 そう言って一刀が差し出してくる竹簡を公孫賛は黙って受け取り開く。その瞳に驚愕の事実が飛び込んできた。
「これは……な、なんだと!?」
 公孫賛は手の中の竹簡へと目を留めたまま、何も考えていなさそうな魚のごとく口をぱくぱくと閉会させ続ける。
 中にはただ一言が大きく書かれていた。
『董卓は暴君にあらず。故に吾は彼の者を救う』
 何度も何度もその一文を眼で往復して確認すると、公孫賛は顔を上げて一刀の顔を凝視する。
「ど、どういう意味だ……これは」
「そのまんまの意味だよ。それには俺の考えが書いてある。まぁ、俺の知ってる限りの情報を元にしただけなんだけどな」
 一刀が先ほどまでの真剣な表情から一転おどけた表情で笑う。
 その代わり様について行けず戸惑う心を静めるように深く呼吸をしながら公孫賛は小さく頷く。
「そ、そうか……」
「だけど、別に"あれ"への参加を取りやめにしろってわけでもないぞ」
「はぁ?」
 次々と教えられる一刀の内面に隠された想いを伝えられても公孫賛には彼の真意を汲み取ることができない。
(董卓を救おうと考えている。なのに何故、こいつは連合参加に対して反対しないんだ……?)
 今唯一できるまともな反応として公孫賛は首を傾げる。
「少し、驚かせちゃったかな。俺はただ、この先に待ち受ける大きな出来事……反董卓連合と董卓軍の間に起こる諍いの中で俺、北郷一刀が取る行動に含まれている意味。それを白蓮にだけは先に知っておいてほしかったんだ。あ、もちろんできる限り、白蓮には迷惑を掛けないようにはするつもりだ。それでも俺が邪魔になるようなことがあれば、そのときは躊躇うことなく好きにしてくれればいいよ」
 そう告げる一刀の顔は普段めったに見せることのない真剣なそれだった。
 真面目な色をした瞳に囚われた気がして公孫賛は妙な汗を背中に感じたが、なんとか首を縦に振ることだけはできた。
「そ、そうか……お前の想いはわかった」
「ありがとう、白蓮。それと、くれぐれも俺の意向を口には出さないでくれよ。なにせ――」
 そこで、一旦区切ると一刀は一歩二歩と公孫賛との距離を詰めてその耳元へと口を寄せてきた。
「誰が聞き耳を立てているかわからないからな」
「ふあっ」
 突然の囁きに公孫賛の身体が反応してしまう。ぴくりと飛び跳ねた公孫賛に気付かないまま一刀が元の位置へと戻っていく。
 頬が熱くなっている。気のせいか、瞳の恥が滲んでいる……おそらく潤み始めているのだろう。
 そこまで反応したことで、どうやら一刀も気付いたらしく不思議そうに公孫賛の顔を様々な角度から覗いてくる。
「お、おい。どうしたんだよ?」
「い、いやなんでもない」
 手を扇のようにふるふると振って否定の意を表す。
「なんでもないって、どう見てもおかし――」
「なんでもないんだよ!」
「そ、そうか……ちゃんと聞いてたんだよな?」
「あ、ああああ当たり前だろ! 聞いてたに決まってるだろ、バカ!」
 訝しげに見つめてくる一刀に公孫賛は全身から湯気が出ているのではと思える程に熱い身体を硬くさせながら怒鳴りつけた。
「そ、それならいいんだ。それじゃあ、俺はこれで」
 公孫賛の気に当てられたのかどうかはわからないが、一刀は自分も仕事があるから、と言って部屋を後にした。
 その後ろ姿を視線だけで見送りながら、公孫賛は思わずぼやいた。
「まったく……あいつは何を考えてるんだか」
 熱の抜けていない顔から、ため息を漏らしながら白蓮は囁かれた耳にそっと触れてみた。
 そこは公孫賛自身が思っている以上に熱くなっているように感じられた。そしてそれと同じくらに何かを企む一刀に対して激しい胸騒ぎを覚えていた。

 †

 公孫賛の元から立ち去った後、一刀はそのまま直接自室へと戻っていた。
 かねてより何度も何度も積み重ねてきた計画についての考察を一刀は今日も今日とて行っていた。
 第一段階として趙雲への頼み事をしたのと同じ計画のことだ。
 そう、以前より企てていた計画について考えを巡らしていたのだ。"今の彼"には策謀の者はついていない。
 だからこそ、何度も計画を見直しては練り直したりする必要があっ た。それこそ何度行っても足りないくらいだと彼は思っていた。
 何せ一刀にとって……いや、この世界においても一度きりの勝負。失敗は許されないのだ。
(そう、絶対に許されないことだ……)
 自らにそう言い聞かせると一刀はこれまで以上に気を引き締める。
 ただ計画を成功させるだけならば、ここまで気を張る必要などはないだろう。では、何故そこまで力が入っているのか?
 その理由は目的にあった。計画の成功はもちろんのこと、自らの生還もなんとか叶えようと考えていたのだ。
 再び、仲間の前から消えるようなことはできればしたくはないのだ。 だから一刀はその二つを念頭に置いて考えている。
 ある少女のためにも計画を成功させるため全力を尽くしたい、でも、そのために他の少女を悲しませるようなことはしたくない……その相反する想いを彼はその胸の内に抱いていた。
(俺って、こんなに欲張りだったかな……はは)
 二人の少女のうちの一人……公孫賛との約束を守るためにも生き残る。そして、もう一人の少女を救う。
 その二つの目的が一刀の方針と慎重さを決定づけた。
 そもそも片方の目的だけを達成するのならば、多少のごり押しを含むことになってもなんとかなっただろう。
 だが、どちらも叶えるとなれば慎重に行動しなければならない。その結論に至ったからこそ、一刀は必要以上に気負っていた。
 この自らの気合いがどう事態を転がしていくのか、それは一刀自身にも分からない。
 その強き想いは彼の力となるのか、それとも――。

 †

 袁紹によって郭維の諸侯へと檄文がばら撒かれたのと同じ頃、洛陽にある宮廷の一角に一人の少女が立っていた。
 その何処か高貴な雰囲気を辺りに振りまき、優雅さ溢れるたたずまいをした少女が上空を見上げ、視線の先にある星々の星々の輝きに深くため息を吐いていた。
「うわあ……綺麗」
 波打つような曲線を描く彼女の楝色をした髪を夜の冷風がそっとなぜる。それが気持ちよくて頬を綻ばす。
 そんな彼女の背後から足音が近づいてくる。誰だろうかと少女が振り向くと、そこには見知った顔が腰の辺りまで伸びている木賊色のおさげ髪を風に靡かせながら歩み寄ってくるところだった。
「どうしたの? こんなところで」
 眼鏡越しにこちらを見つめる瞳には優しげな光が見える。親友で家族……そんな存在なのだから当たり前と言えば当たり前なことではある。そして、きっと少女自身も相手を同じように見ているだろう……なにしろ、彼女にとっても大切な存在なのだから。
「あ、詠ちゃん。ほら、お月さまが綺麗で」
 そう言って、少女はすっと顔を空へと向けて彼女が詠と呼んだ少女を促すように無数の星の泳ぐなか、満月の光によって薄明るい青白さの混じった黒い世界を見上げる。
「本当ね。今日の月は一段と綺麗ね」
 親友もまた、夜空でその存在感を賢明に発している月に感嘆の声を漏らす。
「なんや? 二人仲良く空なんか眺めてぼおっとして」
 声の方へと振り向くと、そこには胸にサラシを巻き、下は袴。その上、羽織ものを肩にかけるという活発な行動向きで少なくとも文官ではない格好をした女性が好奇の目を向けながら微笑を浮かべている。
「あ、霞さん。こんばんは」
「おこんばんは。ほんで、空になんかあるんか?」
 女性が興味深そうに空を仰ぐ。
 その頭の動きに合わせて広く開けられた彼女の額中央部に左右の前髪のうちの片方が垂れてしまうようだ。
 霞と呼ばれた女性が、そのすみれ色の髪を鬱陶しそうに手で掻き上げている。それでも、目だけは空へと向けてじっと凝らしている。
「別に。ただ、夜空に浮かぶ満月が綺麗だってだけよ」
 眼鏡の少女が満月へと向けた視線を逸らすこともなく木賊色の髪をさらさらと攫う夜風を心地よさそうにうけながら、特に視線を向けることなく女性にそう答える。
「なるほど……確かに綺麗やな」
「何故かしらね。こうしてると、なんだか嫌なことも忘れられそうだわ」
「うん。ちょっと気分が晴れるよね」
 月の光をその眼鏡の中央に宿しながら僅かに頬を綻ばす親友に少女は小さく頷く。
 一時的とはいえ、彼女をとりまく出来事もすっかり忘れ、心を癒やすことができる。
 それが嬉しくもあり、なんだか切ない。
 そう思い、視界がぼやけ始めたところで頭に重みを感じた。
「……そんなに気にする必要はあらへんよ」
 見上げると、霞と呼ばれた女性が少女に対して柔らかく、そして頼もしい笑みを浮かべている。
 なんだか、嬉しくあるのと同時に恥ずかしくて少女は頬が熱くなるのを感じた。
 照れが混じった声で、女性に対して「ありがとう」とだけ呟いた。
「おや、こんなところでどうなされましたか?」
 またもや、人が来たようだとそちらへ視線を向けると、そこには藤紫色の髪を短めの長さに揃えた女性が立っている。
 その姿を捉え、眼鏡のずれを直しながら三つ編みの少女が声をかける。
「あら、華雄。こっちの方に来るなんて珍しいじゃない」
「あぁ、実は呂布とともに鍛錬をしていてな……いろいろな意味で疲れたぞ。まったく」
 頭を掻きながらそう答える華雄と呼ばれた女性の隣の闇から洋紅色をした髪を自然のままに流している褐色の少女がいた。彼女が、呂布である。
 呂布は、華雄のぼやきを気にも留めず少女たちにならって夜空を見上げた。
「……きれい」
 たった一言。その呟きで呂布もまた月に見とれているのがわかる。基本、無表情でわかりにくいがこういったときの反応くらいはわかる。
 そのとき、呂布の隣からひょっこりと小さな影が飛び出してくる。 「呂布殿の仰るとおりなのです」
 いつからそこにいたのか、小柄――他の者と並べば小さめである楝色をした波打つ髪の少女やその親友とくらべても――な少女は空を眺めて何度も頷いている。それにあわせて深紅の髪留めでとめてある左右の髪が揺れる。
 それは月の明かりを受けて若緑色の涼しげな美しさを際立たせている。
「うむ、確かに見事な月だな」
 そして、華雄の肯きの言葉を最後に一同は口を閉じ、じっとまん丸な満月を見つめていた。
 それから、いったいどれ程の時がたったのだろうか。そう思ってしまうくらいに六人は時を忘れて眺め続けていた。
 そして、少女がそう思ったのと同時にすみれ色の髪をした女性がふっと一息吐いて一同を見渡した。
「さて、いつまでもこうしとるっちゅうのもあかんやろ? ほれほれ、さっさと部屋に戻るで」
「そうね、さすがに長くいすぎたわね」
 木賊色のお下げの少女が頷くのを合図に一同はそれぞれの部屋へと戻るためその場を後にしようと歩き始める。
「それでは、私はこれで」
「ウチもあっちやから、ほなな」
 そう言って、華雄とサラシの女性がその場を離れていった。
 それに続くようにして呂布がぺこりと軽く頭を下げて去っていく。
「…………」
「あっ! お、お待ち下されぇー! 呂布殿ー!」
 歩いていく呂布の後ろを小さな影が追いかけていった。
 そんな二人の様子に楝色の髪をした少女はくすくすと笑みを零す。
「ふふ……相変わらず中がいいよね。あの二人」
「まったくね。ふふ」
 それに対して親友は少女と同じような笑みを浮かべて肩をすくめると、手を差し出してきた。
「さ、ボクたちも行きましょ。月」
「うん! 行こっ、詠ちゃん」
 月と呼ばれた少女は目の前の親友の手を取った。そして、二人は手をつないで部屋へと歩き出した。

 楝色の後ろ髪が波打つ先では漆黒の闇を照らしていた月が少女たちが目を離したのを機とするようにして大きな雲に覆われてその光を失おうとしていた……。

 †

 公孫賛軍に檄文が届き、反董卓連合について軍議を行った日から幾日もの時間をかけ、日頃の仕事と並行して出撃の準備を整えた。
 そして、ついに出動の日を迎えた。連合が集結すべき日が近づいてきたのだ。
 それから公孫賛軍は長き時間をかけて遠征を行い、反董卓連合の集うべき地へと辿り着くことになった。
 到着するやいなや、一刀は公孫賛に連れられるままにひとまず陣の中を歩くこととなった。
「すごいな……」
 内心では「あいかわらず」と付け加える。
 何故ならば、彼は一度これとよく似た光景を見たことがあるからだ。
 とはいっても、目の前に広がるのは日常では見ることのない壮大な光景。さすがにそれを前にしては経験のある一刀でも感嘆の声を漏らさずにいられるわけもなかったのだ。
 そんな事情が一刀の呟きには隠されている……などということを知るはずもない公孫賛は多少鼻息を荒くして自信ありげに答える。
「まぁな。なにせ、各勢力が終結しているんだ。結構なものになってるのは間違いない」
 それからしばらく、一刀は各勢力についての説明を受けていた。
 今回集まった中でも有力な諸侯……袁紹、袁術。その二人は代々三公を輩出する名門の現当主なのだ。
 その他にも、黄巾党を壊滅直前まで追い詰めたという話で最近名を馳せ始めた曹操。
 袁術の元にいながらも母、孫堅の影響もあり名を知るものの多い孫策、羌族との繋がりもある西涼の馬騰。
 他にも諸々、各地の諸侯たちが集まっているという。
 こうした諸侯に関する説明をしている公孫賛の声に力が籠もってきた……そう一刀が思い始めたのとちょうど同じくして、二人の元へ足音が駆け寄ってきた。
「あ、一刀さん!」
 突然、背後から自分の名を呼ばれたことに驚いた一刀が振り返ってみる……が、声をかけてきたと思しき人物が同時に一刀へと飛びかかってきた。
「え? ちょっ! まっ、うぉぉぉおお!」
 あまりにも突然の事ゆえ一刀は身体が硬直する。隣にいた公孫賛もまた、一刀同様の状態になっているようだ。
 公孫賛の状態を気にしつつ、一刀は自分に組み付いている人物へと目を向ける。 
「まったく、誰だよ……って、あ、あぁぁああ!」
 思わず驚嘆の声を上げると、公孫賛が身体をびくりと撥ねさせて頭を左右に振る。どうやら正気に戻ったようだ。
 そして、今度は突飛な行動に出た第三者の姿を見る。
「だ、大丈夫か、一刀? ……って。と、桃香!?」
 一刀に勢いよく飛びついてきたのは真名を桃香といい、姓名を劉備、字を玄徳という少女である。
 一刀は劉備の登場に驚いてはいたが、しっかりと彼女をその胸に抱きとめていた。
 ただ、その事によって劉備の羽根を模した髪飾りや浅緋色の長髪が首筋に絡みついてきてくすぐったくて身悶えてしまう。
 そんな一刀を余所に劉備は公孫賛の方へと顔を向ける。
「白蓮ちゃんの軍も連合に参加するって話を聞いてたから、白蓮ちゃんと久しぶりに会えるんだなって思ってたんだ。だけど、まさか一刀さんにまで会えるなんてびっくりしちゃった。えへへ」
 そういって照れ笑いを浮かべながら劉備が腕を一刀の首へと回していく。そして、一刀に全体重を預けるように寄っかかりながらもさながらヘビのように巻き付いていくる。
 一刀は、その暴力的な魅力溢れる肉体にほとばしる何かを感じながらも何とか劉備に返事をする。
「そ、そうか。それは良かったな。それでさ……取り敢えず、離れてくれないか?」
「え〜! もう少しいいじゃない。折角の再会なんだよ!?」
 口先をとがらせ不満を露わにしながらも一刀の身体を締め付ける力を増していく。それに伴い、劉備の反則的な肉感が一刀の全身へと伝わっていく。
(ど、どうしよ……)
 思っていたよりも親密に接してくる劉備に正直なところ一刀は困惑していた。
(な、なんにせよ。説得あるのみ)
 他に良い案も浮かばず、一刀は何度も離してくれるように説得を試みる。が、失敗という結果に終わった。
 さすがに疲れてきた一刀は、強張っていた身体から力を抜いて深く息を吐いた。
「はぁ、わかったよ。どうぞ、気が済むまでそうしててくれ」
「んふふふ〜。やったね!」
 満面の笑みで埋め尽くされた劉備の顔を照れと呆れが半々の割合で入り交じった表情で見つめる一刀。
 やれやれと肩を竦めながらも無意識に劉備の頭を撫でる。
(はぅあ! いつの間にぃい!)
 今になって一刀は気がついた。この頭を撫でるという行為……前の世界でも何度も繰り返してきたもの。
 それは一刀自身も知らぬ間に癖になっていたようだ。
(ま、いいか……)
 そこまで深く考えず一刀はそれはそれとして受け入れることにした。
 そして、抱きつかれ困惑しながらも劉備の頭を撫でる一刀。
 抱きとめている一刀の胸に顔を埋めて何やら含み笑いをする劉備。
 そんな光景が長らく続いていた。一刀の方もこの状況になれはじめ、余裕が出てきたので劉備の顔を覗いてみる。
(なんだか、幸せそうな顔してんな)
 すっかり蕩けきった顔をしている劉備に一刀は苦笑を浮かべる。
「見つけたのだ、姉者……って、おにいちゃんなのだー!」
「桃香様、勝手に……おや、これはお久しぶりです。一刀殿」
 劉備を追ってきたのだろう。
 そこには、短めに切りそろえた今様色の髪につけられた虎の髪飾りが特徴的な活発さの溢れる小柄な少女――張飛、字を翼徳、真名を鈴々という――と、美しき黒髪を右側頭部で纏めている少女――関羽、字を雲長、真名は愛紗――が並んで立っていた。
「鈴々に愛紗か。久しぶりだな」
 身体に巻き付いたままの劉備はそのままに一刀は首だけで二人の方を見る。
(どうやら、二人とも特に変わりもなく元気みたいだな……良かった)
 長らく見ていなかったとはいえ、やはり"彼女たち"と会っただけで一刀はつい感傷的になってしまう。
 もちろん、関羽も張飛も一刀の内情は知らない。
「一刀殿とは、出立の日以来ですね。それと……桃香様?」
「ぬふふ〜、かぁ〜ずとさん」
「ダメなのだ。全然聞こえていないのだ」
 関羽が声を掛けても気付く様子のない劉備に張飛が肩を竦めてやれやれと首を振って呆れ混じりのため息を吐く。
 そんな張飛とは異なり、関羽の方は口元をひくつかせ、あからさまな怒りをみなぎらせている。
「うぉっほん! 桃香様!」
「にゅふふふ」
 わざとらしい咳払いをしたり強めの声色で呼びかけたりと自分の存在を強調しているが劉備はまったく気がつかない。
「……桃香だけ、ずるいのだ」
 その呟きに視線を向けると張飛が指をくわえて一刀と劉備を見ている。本気で羨ましがっているのだろう、姉を真名で呼ぶ普段の状態に戻っている。
「あ、えぇと……鈴々?」
「う〜、鈴々もぉ!」
「へ? ちょ、ぐぁ!?」
 それは一瞬のこと、張飛の言葉に一刀が嫌な予感を覚えるよりも早く張飛が飛びついていた。
 劉備と反対の背中にぶらさがるようにして抱きつきながら張飛が嬉しそうににぱっと笑みを浮かべる。
「にゃはは! 大きいのだ」
「り、鈴々! お前というやつは! 堪えられんのか!」
 またもや身内が一刀に抱きついたことに関羽もさすがに驚いたようだが、それでもちゃんと嗜めることは忘れていない。
「うふふふふ」
「にゃ〜にゃにゃ、にゃにゃ〜」
「いい加減にしてください、桃香様! 鈴々もやめんかあ!」
 ついには柳眉を逆立てる関羽。一度刺さった矢のごとく取れにくい義姉と義妹相手に関羽が奮闘する。
 一刀は、三姉妹のやりとりをただただ眺めているだけだった。
「え、えぇと……」
 正直、一刀にはもう三姉妹を諫める気力すら無かった。というよりも諦めの境地に入っていた。
(あぁ、もう好きにしてくれよ……)
 三人のなすがままにして一刀は混沌という荒波に身を任せるのだった。
 それから紆余曲折はありながらもようやく一刀は解放されていた。これも関羽の尽力の賜である。
「ぜぇぜぇ……ま、まったく……二人とも手を患わせないで下さい」
「ごめんね愛紗ちゃん」
「ごめんなのだ」
 肩で息をする関羽に劉備と張飛は苦笑いで謝る。
 荒い呼吸をしている関羽の姿を見るだけで一刀には彼女の苦労が思い起こされる。
 疲労困憊の関羽を哀れみの眼で見ながら一刀は苦笑する。
「いやはや……三人とも相変わらずだな」
「言葉の割にはぁあ……随分……楽しそうだなぁ? 一刀ぉ! えぇ、おい?」
 地獄の底からずりよってくる怨霊のような声に一刀が急速に視線を移動させると、その先には身体中から殺気のようなものを燃えたぎらせている公孫賛の姿があった。
「いっ!? ぱ、白蓮!?」
「おまっ! まさかぁ……一刀ぉ?」
 劉備三姉妹の存在感の強さのせいですっかり忘れていた公孫賛の姿に動揺したのがばれたらしく公孫賛が訝しむように睨み付けてくる。
「え、いや別に忘れたりなんかしてませんよ。えぇ、本当に――」
「私は、忘れてたのか? なんて訊いてないんだが?」
「あれ? あっ!」
 そこにきてようやく自らの失言に気付き、一刀は慌てて口を押さえるが、もう遅い。
「まさか……本気で忘れられてたとは思わなかったなぁ〜」
 公孫賛が力ない声でそう呟く。その眼差しはどこか達観しており何も無い宙を泳いでいる。
 気のせいかその面持ちは暗く、影が射している。さらに、その全身からは哀愁が漂っている。
 その反応にどうしたものかと一刀が頬を掻きながら悩んでいると、いつの間にか離れていた劉備が公孫賛の肩を叩く。
「大丈夫だよ。わたしは白蓮ちゃんのこと気づいてたもん」
 その言葉に続くようにして関羽、張飛も深々と頷く。
「私も忘れてはおりませんよ」
「鈴々もなのだ!」
 慰め顔でそう告げる三人に項垂れたままだった公孫賛もなんとか顔を上げる。
 そこにはもう愁色はなく、喜色を称えている。
「そうか……うんうん、やっぱり桃香たちは私の友だな」
「あっ! ず、ずるっ!」
 一人出遅れた一刀は、しれっと難を逃れた三人を恨めしがる。そんな恨みまみれな視線を向けても劉備三姉妹は気にもかけない。
 その一方で公孫賛が苦り切った様子で一刀へとじりじりと近づいてくる。
「それに比べて……」
 公孫賛の白眼に晒される一刀。一人悪者となってしまった状態をなんとかしようと慌てて弁明を開始する。
「ま、まってくれ! 別に俺だって忘れてはいないんだって……いや、そりゃ、本当のこと言えば少しは忘れていたけど」
「ほぅ、やはり忘れていたのか」
 一層距離をつめられる一刀、今にも彼に詰め寄らんとしている公孫賛。そんな二人に向けて声が掛かる。
「お取り込み中の所申し訳ありませぬが、少々よろしいですかな?」
「あれ?」
 間に入りこんできた声には聞き覚えがある。そう思い、一刀はそちらへと視線を移す。
「あ、星じゃないか」
「あぁ、星ちゃん」
 そう、そこにいたのは紛れもなく真名を星、姓名を趙雲、字を子龍という少女だった。
「ふふ、久しいですな」
「本当だな、星。しかし、何故この場にいるんだ?」
 そして、公孫賛の注意もどうやら趙雲の方へとそれたらしく、一刀は人知れずほっと胸をなで下ろした。
「えぇ、実はこの戦への参加をいたそうと思ったがゆえ、この地へとはせ参じた次第。それと、実はもう一つ理由がありましてな」
「ほう。お前らしいな。とはいえ、どうやってここに来たんだ?」
「たまたま立ち寄った街にて、この反董卓連合結成の話を耳にしましてな。そのおかげでこうしてこの地を訪れることができたわけです」
 そこまでの説明を聞いたところで一刀は趙雲の言うもう一つの理由に思い当たった。
「へぇ、なるほどな。なぁ、もしかしてここに星が仕えてる……もしくは仕えようとしている相手がいるのか?」
 どれがそうなのか、そう思いながら一刀は周囲に並んで風になびいている各勢力の旗を見渡す。
「そうですな。あれから各地を周り、この先大陸に名を残すと思われる英傑をある程度まで絞り込むことができました。"覇"の曹孟徳、"血"の孫伯符、そして"徳"の劉玄徳」
「あ、私もなんだ……」
 趙雲の挙げた名の中に自分が含まれていることに劉備が喜色を称えた笑みを漏らす。
 その顔を微笑ましく思いながら一刀は趙雲の挙げた英傑に関する話の意味を噛みしめるようにして深く頷く。
「なるほど……なかなかいい観察眼だな」
 なにしろ、趙雲が見込んだ面子は間違いなくこの大陸にて大きな存在になると一刀には半ば確信めいたものがある。
(あれ? でも孫策って……)
 だが、聞かされた名前の中に前の世界で自分が見たことのない人物が混ざっている部分が気にとまった。
 その事実は一刀を驚愕させるのには十分だった。
 把握していない新たな人物――それは、一刀にとって最も油断ならない存在。
(どういことだ……俺が知っている流れだったらこのときには孫策はいなかった……確か孫権に世代交代していたはずだ)
 この孫策が一刀の計画に影響を及ぼすのか、はたまた特に意味をなさないのか、それはまだわからない。というよりも想像がつかない。
 そして、一刀の心に不安を募らせていく。
「――殿、一刀殿。聞いておられますか?」
 黙りこみしばらく考え込んでいた一刀はその声でようやく意識を現実へと戻す。
 気がつけば、声をかけてきた趙雲をはじめ劉備たちや公孫賛も不思議そうに首を傾げている。
 一刀は自分の内情を悟られないようもっともらしく頷いて見せる。
「あ、あぁ、もちろん聞いてたよ。三人に絞れたんだろ?」
 ところが、趙雲は呆れた表情で肩をすくめてため息を吐いた。
「やはり聞いておられませんでしたな」
「え?」
「私が絞り込んだのは四人です」
「四人?」
 一刀は首を捻る。劉備、曹操、孫策……その三人とは別に趙子龍の目にとまるような人物がいただろうか?
「うぅん、それじゃあ……白蓮か? それとも袁紹とか? それとも……」
「何を仰る。貴方ですよ。一刀殿」
「俺ぇ!?」
「えぇ、この大陸に在るは"覇"、"血"、"徳"の三つのみにあらず。もう一つ、幽州の北平に"天"あり。私はそう見ました」
「天って……その表現はまずいんじゃ……」
 一刀の知る限り、この時代において"天"と言われる存在は天子もとい、帝……現在で言えば劉協というのは公然たる事実のはずだった。
 だからこそ、趙雲の大胆な発言に驚きを隠せない。
 だが、趙雲は目を丸くしている一刀に対して首を左右に振る。
「いえ、一刀殿は天の御使いとして多くの民に知られています。ならばそれは最早、貴方と天という言葉に繋がりがあると民間では認められているということになります。つまり、今更この私一人が貴方を天と評しても問題などはありえないということですよ」
「いや、まぁ、言わんとすることは解るんだけどな」
 天の御使いという異名の広がる勢い、そしてその影響の大きさについては一刀自身、身をもって体験しているためわかっていはいる。
「で? 結局、星は誰の元へ付くんだ?」
「えぇ……それはですな」
 そこまで告げると、趙雲が一刀を正面に捉えて畏まる。左手で右の拳を包む……軍礼だ。
 しかも、その形相はただ事でないとわかるくらいに真剣なもの。さすがに一刀も思わずたじろぎそうになってしまう。
「な、なんだ? どうしたんだよ」
「この場にてはっきりと申し上げます。我は常山の昇り龍。昇り龍が目指す先にあるは"天"……ゆえに」
 そこで一旦区切ると趙雲は深く息を吸い込む。そして、
「この趙子龍! 許されるのならば、"天の御使い"北郷一刀殿に仕えたい所存!」
 堂々としたる物言いをする趙雲の顔を一刀は、じっと見つめる。彼女は至って真剣な面持ちで一刀の答えを待っている。
 趙雲は至って真面目なのだ。その証拠に彼女の持つ雰囲気からいつものおちゃらけた様子がなりをひそめている。
 だから一刀は訊ねる。彼女の誠意に対するために真摯な態度で。
「本当に……本当に俺で良いのか? 俺には何もないぞ。特別な血筋もない。これといった才能なんかもない。大層な夢をもってるわけでもない。そんな人間だぞ、俺は」
 今の自分の事は誰よりも自身が分かっている。一刀はそう思う。世界を超えた現在の一刀はかつてとは立場が違う。
 かつての世界……前の外史では一刀の傍には頼れる仲間がいて、一つの勢力を率いていた。
 だが、今の一刀はあくまで公孫賛軍に座する諸将の一人。少しだけ公孫賛に贔屓にして貰ってはいるが、それでも自分に仕えることで得られるものなど何も無いはずだ。
 だからこそ、かつての自分とは違う立場にあるからこそ、一刀は趙雲の判断に戸惑わずにはいられない。
 今の自分の価値などわからない。せいぜい、いま大陸を席巻している動乱の中心で苦しんでいる少女を救える可能性を持っているくらいだ。
 そんな疑問で胸をいっぱいにしている一刀に趙雲は一切揺らぐことのない瞳を向けたまま首を左右に振る。
「いえ、一刀殿は他の者たちと比べ、より高みから物事を見ておられる。そう私に感じさせるだけのものをもっております。それに、大きな徳もお持ちだ。それでいながら現実を見つめることの意味もわかっておられる。それゆえに北郷一刀殿を我が天と認め、叶うのならば貴方の元に仕えたいと思っております」
 趙雲は軍礼をとかず、一層強い視線で一刀の瞳を貫く。
 一刀はその目力に臆することなく、疑問で返す。
「俺は高みから物事を見ることができた覚えはないんだが……どういうことだ?」
「いえ、私が旅立つ際に"頼み事"されましたな。あれはまさにそのことを示している……そうではありませぬか?」
 趙雲が言っているのは、彼女に洛陽、長安の状態を見てきてくれと言う約束を交わしたことだろう。
「うぅん、あれは高見から見ていたからって訳じゃない。そう、星の勘違いだよ……俺は、ちょっとだけわかってた。それだけなんだ」
 一刀は目の前の少女の言ってる意味がわかる……だから、特に詳細を述べることなく答えた。
 だが、様子を見守っている周囲には事情がわからない。だからだろう……困惑の色が表情に混じっている。
 だからといって当人たちは説明をしない。ただ話を続けていく。
「……わかっておられた、ですか?」
「あぁ、完全にとはいかないけどおおよその事はね」
「ほぅ……」
 一刀はただ正直に告げたつもりだ。だが、同時に聞かされた側からすれば信じられないような話だろう、とも思う。
 実際、趙雲はなにやら考え込むような素振りを見せたままだ。
 恐らくは悪いものであろう彼女の答えを待ちながら……改めて自分の情けなさについて思いを馳せ、一刀は自嘲気味に呟いた。
「俺はさ、今言ったとおり何が起こっているのか大体わかってる……わかってるんだ。なのに俺はそれに対してこれといったことができる訳じゃない。本当に力のないやつなんだよ。俺は」
「なるほど……しかし、そう思いながらも一刀殿は何かをなそうとはしておられるように思えますが?」
「そりゃな。いくら非力だといっても何かやれることがある。いや、今回のことはどうしてもやらなきゃならないんだ。ま、どれだけ上手くやれるのかは解らないんだけどね」
 ため息を交えながら一刀は伏し目がちにそう答える。顔に苦い笑みをうかべながら……。
「ふ、やはり我が慧眼に狂いはなかったようですな」
「へ?」
 僅かに視線を上昇させると、そこには口元に意味ありげな笑みを湛えている趙雲の顔があった。
(なんで、そんな嬉しそうに笑うんだよ……)
 てっきり情けなさに呆れるなり、軽蔑の眼差しを向けられると思っていただけに一刀は内心の困惑を顔に出してしまう。そんな一刀を見て可笑しそうに微笑みながら趙雲は更なる言葉を一刀に向けて放つ。
「一刀殿のお考え、意思……そして、想いの強さ、しかと理解しました。今私は自らの決断に更なる自信を持ちました」
「…………」
「一刀殿……我が心身を持って、その目的達成に助力いたしましょう!」
 完全に趙雲は諦めない。なんとなくだが、一刀はそのことを感じ取ってしまった。
 肩を竦めると、一刀は達観して趙雲の申し出を受けることに決めた。「はぁ……わかった。よろしく頼むよ、星」
「えぇ、こちらこそよろしくお願いいたしますぞ、主」
 そして二人は、趙雲が公孫賛の城から旅立った時のように硬い握手を交わした。
 その瞬間に、ようやく場の空気が緩んだ。そして、ただじっと二人のやり取りを見守っていた者たちが動き始めた。
「そっか……わたしとしては残念だけど。良かったね、星ちゃん」
「これで、星も心身共に一層の成長することになるのだろうな」
 劉備が満面の笑顔を浮かべるのに対して不適な笑みを見せる関羽、ただ、どちらも祝福しているのに代わりはないだろう。
「ふぅん……星はお兄ちゃんを選んだのか」
 張飛は感慨深そうに一刀と趙雲を交互に見る。
 そして……、
「え、えぇと……私の立場は?」
 一応、現在一刀が仕えている相手である公孫賛だけが困惑した様子で自分を指さしている。
 それでも、瞳には期待が籠もっているように見える。
 趙雲はそんな公孫賛を一瞥すると、鼻で笑った。
「ふ、私はあくまで主のもの。それゆえ、主が白蓮殿を見限るならば白蓮殿とはそれまで」
「えぇ! そ、そんなぁ〜」
 趙雲に厳しい言葉をさらりと告げられた公孫賛が今にも血涙を流しそうな程にがっくりと肩を落とす。
(なんか、哀愁漂ってるな……)
 同時に、それが似合ってるな。などと思う一刀に向かって、急に公孫賛がふらりと倒れてこんできた。
 驚きつつもなんとか一刀が受け止めると、公孫賛が一刀の服の襟首をぐっと強い力で掴み、縋り付いてくる。
「な、なぁ、一刀? 一刀は私を見限ったりしないよな? なぁ、見捨てないよな、な!」
 動揺からか公孫賛の瞳が潤んでいる、今にも一筋の流星がこぼれ落ちそうだ。
 一刀はその姿を見て、捨てられそうな子犬が必死にズボンの裾を引っ張る映像を思い浮かべた。
 そして、困惑しながらも言い聞かすように、できるだけ優しく声をかけていく。
「だ、大丈夫だって。俺は白蓮と一緒にいるよ。だから、落ち着いてくれ」
 動揺して取り乱している公孫賛の肩をがしりと両手で掴み瞳をのぞき込みながら語りかけると、彼女はなんとか落ち着きを取り戻し始めたようだ。
「……本当か?」
「あ、あぁ。もちろん」
 上目遣いで訊いてくる公孫賛に力強く頷いてみせる一刀。それを見て安心したのか、公孫賛がようやく襟首から手を離した。
 その様子を眺めていた趙雲が肩を竦めながら、やれやれと首を振る。
「やれやれ、まったく……何をしておられるのやら」
「それを星が言うか……」
 隣にいた関羽が半眼で趙雲を見ながら呆れた様子で反応する。
「うーん。やっぱり白蓮ちゃんって……」
 一方、公孫賛が一心不乱に一刀に縋り付いてからずっと何かを考えこんでいた劉備が何やらぽそりと呟くが、一刀や公孫賛の耳にはとどかず聞き取れなかった。
「にゃはは、二人とも面白いのだ」
 ただ、張飛だけが楽しそうに笑っていた。
 そんな張飛の気楽さが今の一刀には羨ましく思えた。
 なにしろ、ここへ到着してから一片に様々な出来事に見舞われたからか、一刀はなんだか凄く疲れたような気がしていたからだ。
(はぁ、連合の元へ到着してすぐにこれだけ疲れるとか……大丈夫なのか、俺)
 無論、その疑問に答えが返ってくるはずもなく、一刀はただため息を吐くだけだった。




<<第十一話

>>第十三話(前編)


TOPへ  
SSリスト