TOPへ  SSリスト  <<第五十九話  >>第六十一話



 「無じる真√N60」




 冀州、鄴。その主である彼女は侍女の一人から受けた話に応じて、廊下を歩いていた。
 侍女曰く、今日は風呂場の使用が可能だというのである。久しぶりに身体を綺麗できるとあって彼女の足も軽くなる。
 彼女は速まる一方の歩調に任せて浴場へと向かう。
「いつ以来だったか? まあ、さすがにそろそろって感じではあったからな」
 腕を僅かに鼻に近づけてすんすんと匂いを嗅いでみる。
 特に臭くはないとは思う。
 しかし、しばらくは手ぬぐいでこすったりするだけしかできなかったため、彼女には自分が十分綺麗だとは思えず心配でしょうがなかった。
「ま、それも、今日入れるってことなんだし、気にしても仕方がないよな」
 次第に速まっていく歩を緩めることはせず、彼女はずんずんと進む。
 そんな身体の反応とは裏腹に彼女の心は本来ほど晴れ晴れとはしていなかった。
 つい、それも入浴によって流せればなどと考えてしまう公孫賛だった。

 †

 脱衣所に付くと、そそくさと服を脱いでいく。既に先客がいるらしく、着替えがちらほらと残っている。
 公孫賛は今日一日付き合ってくれた下着をするりと脱ぎ去ると脱いだ服の合間に潜り込ませる。
 身体を隠すように手ぬぐいを持つと公孫賛は浴場へと向かう。
 彼女が開けようとして手を伸ばすよりも早く扉が開かれ、人影が立ちこめる湯気の中から現れる。
「む? なんだ、遅かったではないか」
「あ、あぁ……」
 中から現れたのは彼女の軍でも相当な武力を誇る将軍、華雄。普段は一部跳ねっ返り気味な藤紫色の彼女の髪も湿り気を帯びてすっかり大人しくなりを潜めており、湯上がりで火照った肌にしっとりと張り付いている。
 その横で華雄同様に桜色に染まった肌を手ぬぐいで隠すようにしている少女が律儀にも小さく頭を下げる。
「白蓮さん。お疲れ様です」
「ああ、月もお疲れ」
 小柄な身体をほんのり赤らめている少女は、メイド服に合わせて使用している髪留めのうちの赤い紐だけを残して前髪を上げたままにしているだけでなく、後ろ髪を左右で結い上げて団子状にしている。その容姿は董卓が兼ね備えている少女らしさを一段と際立たせている。
 ふと、手ぬぐいで隠した彼女の白い肌に目が行く。
(この肌にもあいつの温もりが刻まれて……)
「やっぱり、忙しくて遅めになったのでしょうか?」
「ん? まあ……な」
 思考を遮られた公孫賛は芯の通っていない声であやふやに頷いてしまう。
「なんだ? やけに暗いではないか」
 董卓の質問にふがふがと答えたことを訝しむ華雄に公孫賛は慌てて手を振る。
「い、いや。何でもない。それより二人とも身体が冷えるぞ」
「そうですね。では、ごゆっくり」
「もう中には一人しか残っておらんし、恐らくはやつもすぐに出るだろう。白蓮よ、せいぜいじっくりと日頃の汚れと疲れを落としてくることだな」
「ああ、そうさせてもらうとしよう」
 華雄の言葉に片手を上げて答えると、公孫賛は浴場へと踏み出す。
 うっすらとした白い湯気があちらこちらを漂う中、公孫賛はひたひたと歩いていく。
 しばらく進んでいくと、既に湯船につかっている影がぼんやりと見えてくる。
「おや、随分と遅れてこられたものですな」
「なんだ、星だったのか」
 頭に乗せた手ぬぐいを抑えて気持ち良さそうにくつろいでいる趙雲を横目に見ながら公孫賛はふうと息を吐く。
 彼女は湿気によって重くなった前髪を書き上げた後、腰掛けに座り、かけ湯を浴びていく。
 水気を帯び、身体がつやつやと深紅の陽光を反射するようになると、公孫賛はこれまでの疲れを落としていくように石鹸を付けた手ぬぐいでごしごしと身体を入念に磨いていく。
 擦る度に、汚れや垢と共に蓄積した疲労が落ちていき、彼女は自分の心身が綺麗になっていくのを感じながら手ぬぐいを満遍なく動かしていく。
 すっかり全身が石鹸の泡で覆われてきた頃、公孫賛の脇の下からぬっと腕が現れて彼女の細いくびれにぐっと抱きついてきた。ぬるっとした感触もあいまって公孫賛は全身の産毛をぞわぞわと逆立たせる。
「うひゃあっ!?」
 突然のことに公孫賛は言葉を詰まらせて眼を白黒とさせる。思わず飛び跳ねかけたが、ガッシリと彼女の腰を掴む腕に阻まれて変に悶えたような動きになってしまった。
 そんな彼女の背後から笑いを噛み殺しているような息遣いが聞こえてくる。
「くっくっく……これは、また可愛らしい悲鳴ですな」
「せ、星! お前、何を?」
「ふむ。軍は成長すれど、こちらは対して成長しておらぬようですな」
 妙に感心したような言葉と共に趙雲が掌と細く伸びる指を公孫賛の肌の上を舐めるように滑らせていく。
 公孫賛の白い双丘が外縁を残すようにして趙雲の掌ですっぽりとくるまれてしまう。
 そのままゆっくりと力を入れていくように公孫賛の胸が揉みしだかれる。
「んっ、お、おい! な、何を……あっ、こら! やめろ、石鹸でぬめぬめしてるから……ふぁっ」
 脇の下から伸びている趙雲のしなやかな腕がすべりの良くなった公孫賛の胸を執拗に揉み続ける。趙雲が徐々に力を込めながら手を外縁から中心へと滑らせていく度に、鰻やドジョウのように彼女の掌から抜け出る公孫賛の柔肉がぷるんと撥ねる。
「やはり、こう、もっとちゃんと揉まねば……おや? 何やら手にひっかかるものが……邪魔ですなあ。何ですかな、このこりこりは」
「やめ、やめろって。ふぁっ、そ、そんなところを……い、弄るな!」
 公孫賛は半ば強引に彼女の腕を振り払うと、キッと趙雲を睨み付ける。趙雲の悪戯をなんとか中断させると、公孫賛は僅かに上がってしまった息を整えて手ぬぐいで胸元を隠すようにして彼女から離れる。
「まったく……な、何を考えてるんだ、お前は」
「はっはっは。まあ、これで少しでも大きくなるならもうけものですぞ」
「やかましい!」
「さて、それでは私はこの辺で失礼させていただくとしましょう」
「あ、ああ」
 飄々と抗議を促してさっさと立ち去ろうとする趙雲に警戒心を露わにして身構えていた公孫賛が呆然としていると趙雲が脚を止めて顔だけで振り返る。
「そうそう、手ぬぐいにくっきりと浮かび上がっておりますぞ。桜色の蕾が」
「……え?」
 振り返り際の趙雲が指摘した箇所に公孫賛は視線を巡らせる。
 白い手ぬぐいが濡れたことで透けており、そそり立つ胸の先端が鮮明に姿を見せつけていた。
「ーーっ!?」
 瞬間的に顔が熱くなり、公孫賛は胸元を手で隠す。
「ゆっくりと、一人でくつろぐとよろしかろう」
「うるさい! さっさと出てけ変態!」
「おやおや、これは手厳しい。しかし、私が男ならばその姿にはそそられると思いますぞ」
 そう言うと、趙雲は腰に手を当てて大笑いしながら出て行った。
 扉が閉まるのを見届けると、公孫賛はその場にへなへなと座り込む。ひんやりとした床が少々冷たいが、よほど身体が火照っているのか、それすらも気にならない。
「バカ星……全然嬉しくないっての。あいつはこんな私なんぞ……」
 はあと深々とため息を吐くと、公孫賛は残っている石けんを流して湯船につかる。すっかり冷めてしまった身体にじわじわと熱が広がりかすかな痺れが感じられる。
「くぅっ……はっ、ぁ……んぅ」
 公孫賛は湯に浸かり、感嘆の声を口にしながらゆっくりと背筋を伸ばすと、浴槽の縁に背中を預けて空を見上げる。
 夕焼けに焦がされた空をふよふよと雲が気持ち良さそうに泳いでいる。
「まったく、お前はいいよな。気の向くままに動けて……」
 胸の底にずんと感じる重さに公孫賛は顔をしかめながら苛立ちをぶつける。すると、雲はまるで蜘蛛の子を散らしたかのように霧散していった。
「腹立たしいったら、ありゃしない」
 そんな風に毒づきながらも公孫賛はこの一時をのんびりと過ごす癒やしの時間にしようと決めるのだった。

 †

 夕暮れに染まる宮殿からの帰り道を三つの影が歩いている。
 悠然とした歩調、ぴんと伸びた背筋、その歩く姿は自信に満ちあふれている。
 よく整備された歩道は、ここが他の国や邑とは異なることを表している。
 そんな道をざっざっと小気味よい音をさせながら力強い足踏みで歩いている彼女たちは今、この大陸の中心すらもその足下に治めてしまっていた。
 隣を歩く銀煤竹色の髪を左右で結っている女性が流麗かつ鋭い瞳を彼女に向けながら口を開く。
「呆気ないものでしたね」
「あんなものだとは思っていたし、別段、驚くことでもないわ」
 以前にも似たような光景を見たことがある。夕焼けに染まる都……長安。その時、彼女の横にいたのは英傑たる資質を秘めながらも燻っていた少女。
 もっとも、曹操もまだその頃は勢力拡大を図る途中故にその少女と大差があるとは言えなかった。
 しかし、今の彼女はその掌中に大きな意味を持つ力を治めた。
「いやいや、よいではないか。大した損害もなくこうして新たな成果を得たのだからな。まあ、わたし個人としては少々、物足りなかった気がしないでもないがな」
 夏侯惇は、その心胆や黒髪と同様に真っ直ぐに伸びる隻眼からの視線を曹操を挟んだ反対側を歩く軍師、郭嘉に向けながらそう告げると豪快に笑い出す。
 曹操も、幾何学的な印象を与える軍師服に身を委ねた彼女を見ながら夏侯惇の言葉に頷くと、口をゆっくりと開く。
「春蘭の言う通りよ。たかだか、現朝廷を掌中に治めるくらいならそこまでの負担はかからないと事前にわからなかったの?」
「いえ、仰るとおりではあるのですが……こう釈然としないといいますか」
「そう。貴女はあの者どもの卑屈さに直に触れたことがないものね。ならば、そう思うのもまた仕方のないことなのでしょうね」
 眉を顰めながら納得いっていないと瞳で物語っている郭嘉を見ながら曹操はこの地に来るまでのことを思い出す。
 事の発端は、朝廷が仕組んだ暗殺計画。
 張繍からそれを聞き出した曹操は、夏侯惇、郭嘉を始めとした一部を除いた将を集めて攻め込むことを決意した。
「攻め込むことを伝えたのに朝廷は動きませんでしたね」
「あら、動いていたじゃない。一度のみ、だけれど」
 許都から軍勢を率いた曹操軍が司州入りを果たし、洛陽を経由して堂々と長安へ向かって進軍を行ったところで、ようやく朝廷は抵抗らしい抵抗を見せた。
 弘農郡へと差し掛かった曹操軍を迎え撃ってきたのだ。
 しかし、戦力も度重なる乱による疲弊と混乱で散り散りとなっており、かつて曹操が訪れた時からこれまでの間にさほど使える者を碌に揃えられなかったらしく、朝廷の軍になすすべはなかった。
 そうした理由から余りにも力もなく、弱気であった軍は、相手をした曹操軍が呆気にとられるほどあっさりと降伏してきた。
 結局、朝廷の抵抗は、討伐どころか、曹操軍を増長させる結果をもたらして終わった。
「うーん。改めて思い出してみると、やはり、あんなものは戦ではありませんよ。華琳さま」
「春蘭さまの言う通りです。あれを抵抗と称するのはちょっと……」
「手が無かったというだけのことでしょう。別段、疑う程のことではないわ」
 そう、一度は曹操に帝の座に着けとまで言い出した程の愚者たちなのだ。曹操が朝廷の抵抗が少ないのを罠だと思わないのは言わば当然の理なのである。
 曹操が考えを曲げないことを悟ったのか郭嘉はため息を吐いて、疲れた表情を一瞬だけ見せる。
 だが、すぐに表情を厳しい者へと変えると、彼女は鋭い表情を更に鋭利なものにして曹操をキッと睨み付けてくる。
「それはそれとしましょう。ところで、華琳さまは本当にあの申し出をお受けになるつもりなのですか?」
「帝はそのままで、しかし、この曹操には何かしらの高位に就いて朝廷を動かしてほしいという話のことかしら?」
「そうです。それでは、実質華琳さまが帝のようなもの。いえ、むしろ帝は依然変わりないとなれば、天子を傀儡とするなどという悪名が立ちかねません」
 降伏した朝廷の高官たちも流石に脳まで筋肉でできている某武官ほど馬鹿でもなかったらしく、曹操がどうすれば首を縦に振るか考えたらしい。
 そして、それは確かに曹操を頷かせた。
 郭嘉が懸念しているのはそれによる副作用的なものに違いないと曹操は察する。
「悪名が高まればこの曹操を打倒しようという者が現れると言いたいのでしょう? そう、あの麗羽の従妹に対する私たちがそうであったように」
「そうです。万が一大陸中の諸侯が手を結ぶようなことがあれば……」
「だからこそよ」
「え?」
「先がわかっているのならばこちらから先手を打てば良い。それだけのことでしょ?」
「……そうか。だから華琳さまはあの書簡を利用するおつもりでいたのですね」
 言葉の意味を理解したらしく、郭嘉は僅かに瞳を輝かせながら曹操を見つめてくる。それに対して曹操は小さく微笑んで返す。
 互いの思考が読めれば言葉はいらないのだ。
「むむぅ……。 つまり、どういうことなのですか?」
 いや、一人分かってない者がいたらしい。曹操はふっとため息を吐くと郭嘉の方に視線を向ける。
「稟。春蘭にもわかるように説明を」
「御意。あの密書を手にした時から華琳さまは朝廷がどういった切り出し方をしてくるか予見しておられたのですよ」
「ほうほう。それで?」
 腕組みをした夏侯惇が首を小刻みにフリながら頭を突き出して先を促す。
「そうなれば、自ずと狙われる立場になりやすいということです。そして、華琳さまはそれすらも事前に逆睹しておられたのです。だからこそ華琳さまは朝廷をご自分の前に屈服させた後の狙いまで決めておられたという訳なのですよ」
「要するに華琳さまは凄い御方であるということだな」
「………………………………………………はい」
 眉間に皺を寄せ、こめかみに青筋を立てながら郭嘉がしぶしぶ頷く。
 説明が無に帰したのだからそれもやむを得ないのだろうと思う反面、どちらも可愛いものだと曹操は密かに思った。
「ところで、稟」
「は、なんでしょうか?」
「遠征の準備の方はどうなっているのかしら?」
「その点は心配ご無用。秋蘭さまと風が中心となって諸将を動かしてくださっています。それより、軍の方はどうなのです?」
 そう言って眼鏡をくいとあげながら郭嘉が夏侯惇へと視線を向ける。
「うむ。それならば問題は無い。呼び寄せた凪たちが近くで調練をやっておるからな。いつでも戦場にて活躍できよう」
「ということです。如何でしょうか?」
「問題なしよ。二人ともよくやってくれたわ」
 曹操は口元に笑みを湛えると瞳を閉じ、満足したように一度だけゆっくりと頷く。
「華琳さま」
「どうしたの、稟?」
「今回の一件。ずっと考えていたのですが……華琳さまは何も思われなかったのですか?」
「何が言いたいの?」
 複雑な色をした瞳で見てくる郭嘉に曹操は訝しむように片眉を吊り上げる。
 郭嘉は、僅かに躊躇するように曹操と視線を合わせられずにいたりしていたが、軽く頭を振って真剣な眼差しを曹操に向けて自然な動きをする口から言葉を発し始める。
「朝廷を攻め、帝を奉戴することで形としては朝廷を従えることとなったのです。紛う事なき大逆と人は呼びましょう。この悪名はこれまで広がった奸雄などと比べものにならぬものです。百年の……いえ、千年の悪名となりましょう」
 はきはきと普段通りに饒舌に語る郭嘉だが、その声色は非常に重々しい。曹操はそんな暗く沈むような空気を纏う郭嘉を見て眼を細めるとゆっくり語り出す。
「もの、あれに非ざるはなく、もの、これに非ざるはなし……後世の人々がこの曹操を大罪を犯した愚者と見做すか、大乱を治めんと動いた智者と称えるかは思想、価値観、倫理……その時代を織りなす様々な条件によって左右される。ならば、それを気にすることに意味はあって?」
「……華琳さま」
「私たちが大事としているのは、この荒れ果てた大陸を一つに治めること。そして、それを成すには生半可な心持ちでいてはならない。むしろ、悪名にせよこの曹操の名を脅威と共に広められるのならば悪くは無いと思うのだけれど、貴女はそうは思わないのかしら?」
「張繍の一件で、覇王の歩む歩道を学んだつもりでしたが……どうやら私は貴女をまだ理解しきってはいなかったようですね。よもや、ここまで開き直れる御方だったとは」
「幻滅したかしら?」
「いえ。一層、惚れ込みましたよ」
 そう言うと郭嘉は口角をくっと吊り上げて不敵に笑う。
「お、おい稟! 一つだけ言っておくぞ。この世において、最も華琳さまに惚れ込んでおるのはこのわたしだからな! よいか、それだけは忘れるな!」
 どうやら郭嘉の言葉に嫉妬の念を抱いたらしく夏侯惇が必死の形相で睨み付けている。
 さしもの郭嘉も虎の子……いや、虎のような夏侯惇に睨まれてはたじたじといった様子である。だからといって、曹操は助け船を出すことはせず、その微笑ましいやり取りを一人で満喫するのだった。

 †

 しばらく日頃の疲労を解消するようにゆったりと湯船に浸かっていた公孫賛の耳に誰かの声が聞こえてくる。それと同時に脱衣所の方で何やら布ずれの音もし始める。
「しかし、運が良かったな。まさか、帰ってきた日がちょうど風呂を使える日だったとはな」
 十分に聞き覚えのある声に彼女は慌て、浴槽の中で一際目立つアクセントとなっている岩の影へと移動する。そのまま脱衣所に対して身を隠すように回り込む。
 公孫賛がなんとか姿を隠したのとほぼ同時に脱衣所の出入口から一刀が入ってくる。程よく鍛えられた肉体を惜しげもなく披露している彼は腰に手ぬぐいを巻いた状態で口笛を吹きながらのんきに歩いている。
 一刀はぐっと伸びをすると、深々と息を吐き出しながらかけ湯の元へと向かう。
「んっ、ふぅ……流石にいろいろと疲れたからなあ」
 肩に手を置き首をごきりと鳴らしながら一刀が腰掛けに座ってかけ湯を浴び始める。
(ちょ、ちょっとまて……なんで、あいつが入ってくるんだ!)
 公孫賛は腕でぎゅっと自分を抱きしめるようにして岩の影で縮こまる。
 何故だろうか、急激に鼓動は速まり、顔に血液が集まっていくような感覚がする。なのに、呼吸は徐々に息を吐き出すことも吸うことも困難になっていく。
「しっかし、まさか、あの二人がなあ……ていたとは」
(あの二人? 二人って誰だ? よく聞き取れん)
 公孫賛は耳を目一杯広げて声を拾おうとするが、なかなか上手くいかない。
 そのうち、ごしごしと擦る音をさせながら一刀が身体を洗い始める。幸い、公孫賛の方に背を向けているため、ゆっくりと彼の様子を窺うことができた。
「少しずつ、なんだろうな。でも、一遍によりはマシと言えばマシか……」
 何か感慨深げに独り言を口にしているようではあるが、内容が断片化されているため公孫賛には彼が一体何のことを言っているのかまでは予想することができない。
(し、しかし……どうしたらいいんだろうな、この状況)
 じっくりと引き締まった彼の身体を眺めつつ、公孫賛は増してきた顔の水分を拭う。
 なおも視線は一刀の後ろ姿に向ける。意外にすらっと伸びた長身に幅の広い肩、ごつごつとしているが力強さと妙な安心感を与えてくれる背中、横っ腹も余計な肉が付いて居らずがっちりしている。その下に伸びる尻の割れ目とキュッと引き締まった臀部。
(改めて見ると、あいつって結構男らしいというか、逞しいというか……)
 以前、一度だけ彼と閨を共にしたことがあったが、その時の公孫賛には様々な意味で余裕も無く、彼の全身のことなど大して観察はしていなかった。
(ま、まあ……あの時は密着してたわけだしな)
 自分にそんなことを言い聞かせながら公孫賛は彼の背中をじっと見つめていると、彼女はいやにうずうずとし始めてきている自分に気がついた。
(そ、そうだ……あいつの背中、流してやろうかな……で、でも、それはちょっと……いや、しかし)
 岩陰から出ようとしては身を引っ込め、隠れてはすすすと移動しようとする。それでもまだ、躊躇して岩の後ろに張り付いてしまう。段々情けなくなってきて公孫賛はうめき声を漏らす。
「う、うう……」
「ん? な、何か聞こえたような……」
 身体を洗う一刀の手がぴたりと止まり、振り返ろうとしたので、公孫賛は慌てて岩に背中を当てるようにして動きを止める。
「気のせいか?」
 しばらく、沈黙が続き公孫賛が息を潜めて動かぬよう細心の注意を払っていると、胸元に張り付かせていた手ぬぐいがずるずると這いずりはじめ落下しそうになる。
(ま、まずい、今は落ちるな!)
 湯船に入り、流れて一刀の目に入ってはまずい。そう思い公孫賛は腰を浮かして手ぬぐいが落下するのを防ごうとする。
(へ、変な体勢で腰が……)
 長時間の政務ですっかり固まってしまった腰には少々厳しい負担。公孫賛がもうこれ以上は、と思ったのを察してくれたかのように再び身体を洗う音が聞こえてくる。
「ま、いいか」
 その声が耳に届き、公孫賛はほっとため息を吐くとゆっくりと湯船に浸かっていく。
 少し冷めてしまった身体にお湯による痺れが再度ぴりぴりと走る。
「ん……ふぐ」
 声を漏らしそうになり、公孫賛は慌てて口元を抑える。幸い、一刀には聞こえていなかったらしく、彼の鼻歌交じりの手ぬぐいの音は途絶えていない。
(ああ、もう! ど、度胸だ! 女は度胸……でも。いや、ここでいかねば、いや、しかし……)
 背中を流すという名目で彼の前に姿を現すのも悪くは無いと思う反面、唐突にそんなことをするのはどうだろうかという羞恥心と戸惑いが混じりあい公孫賛の中に迷いを生じさせる。
 そうして、彼女がまごついている間に再び脱衣所の方で物音がする。
 何やら、声が聞こえるが一刀は頭を洗っている最中らしくそちらに気がついていないようだ。
「お、一刀まだおるやん」
「え!? ちょ、ちょっとボク、戻っ……だから、何であんたはいつもボクを――」
「ま、ええからええから」
 なにやらドタバタと一悶着があったようだが、足音が徐々に扉に近づいてくる。
(ま、またか……どうする……出るに出られんぞこれは……)
 更に出づらくなった公孫賛が湯船に顎まで浸かって眉尻を垂れさせて困惑していると、
「う、うわぁっ!」
 急な悲鳴が上がり、公孫賛は驚いてそちらに視線を向ける。そこには、手ぬぐいをその豊満な肉体に巻き付けた張遼が一刀に背中から抱きついているという光景が繰り広げられていた。
 一刀は頭を流そうとしたところだったらしく、未だに片手を頭に置いたままで硬直している。
「な、なんだ? 何が起きたんだ?」
 首を捻って一刀が背後を見ようとすると、そんな彼の耳元に張遼が顔を近づける。一瞬の沈黙の後、一刀がびくんと小さく撥ねて身体を縮こまらせた。
「いやんっ! て何するんだよ!」
「へへ、一刀って耳弱いんやね」
「し、霞か! な、なんで、入ってきてるんだよ! にしても、こっちの感触はなんだ?」
 その言葉と同時になにやら一刀が腕を動かしているが、公孫賛からではよく見えない。
「ひあっ!?」
「え?」
「ど、何処触ってるのよ……この色欲の御遣いがっ!」
「痛っ!? というか、詠までいるのかよ!」
 僅かに身を乗り出して見る。どうやら、艶っぽい悲鳴を上げたのは、張遼に片腕を掴まれたまま一刀に抱きつくような形を強要されている賈駆らしい。そして、その後一刀の脚を蹴り上げたようだ。
 急なことに一刀も驚いたのか、言葉を詰まらせている。
「……にしても、ど、どうなってるんだ」
「いやあ、雛里から今日はお風呂使える聞いとってな。そんなら、早めのほうがええやん」
「そんな霞に強引に連れてこられてみれば……なんか変質者が先に入ってるし」
「変質者って……」
「ふん。こうして、ボクたちが入ってきたのに驚くどころか堂々と座ったまま……あまつさえボクの……その……ごにょごにょ……を厭らしい手つきで触ったりするようなやつなんか変態で不審者で強姦野郎に決まってるじゃない」
「静かな入浴を壊された俺が何でそこまで罵られなけりゃならないんだ?」
「うっさい! 実際、触ったのは事実でしょうが!」
「おふくろさんっ!?」
 少女たちの身体でいまいちどうなっているのかわからないが賈駆の蹴りを受けた一刀が二人を身体に纏わり付かせたまま股間を手で抑えて蹲ってしまった。
「かはっ……こ、ここは……駄目だって……無理……ホント無理です。ごめんなさい」
「あちゃあ……いくらなんでも、急所を直撃はあかんやろ」
「し、知らないわよ……ボクだって、蹴ったらぐにょってなって吃驚したんだから」
 苦笑い気味の張遼の指摘に賈駆はぷいとそっぽを向いてしまう。その間にも一刀はぷるぷると小刻みに震えながら何かを口走っている。
「うぅ……が、頑張れ、俺の宝物ぉ。くぅぅ、ち、力が抜けていくぅー」
「ほら、こんなんなって……はれてるかもしれんな」
「って、し、霞……そんなところ握るなって」
 非常に気になる会話だが、公孫賛の位置からでは残念なことに三人の間で何が起こっているのかいまいち把握することができない。
 悶々としたまま公孫賛が様子を窺おうと四苦八苦していると、一刀が逃げるようにして浴槽の方へと駆けてくる。
「と、とにかく俺はさっさと暖まって出るから、二人はゆっくり身体洗うなりして時間を潰してくれよ」
「ぶー! 一刀のいけず」
「あのなあ……」
「霞、いい加減にしなさいよ。ボクまで巻き込んで」
 腰掛けに座ったまま唇を尖らせる張遼を賈駆が身体を隠す手ぬぐいの上にかかる木賊色の髪を弄りながら睨み付ける。
 そんな二人から視線を逸らすと、一刀は浴槽の方へと視線を向けてくる。
「まったく……困るわけじゃないが……ふう」
(ま、まずい!)
 ぼやきながら一刀が近づいてくるのに気がついた公孫賛は慌てて岩の後ろで隠れる位置を調整する。
 公孫賛が上手く隠れ直すのと同時に湯船からざぶんという音がしてきた。
 ほっと一息ついて公孫賛は岩に寄りかかって胸をなで下ろした。
 そうして、ゆっくりと観察できると思った直後、普段結っているすみれ色の髪を下ろした張遼が湯船の方へと歩いてくる。
 一刀もそれに気付いて声をかける。
「ん、なんだ? 一緒に入るのか」
「そ。ええやろ? ウチと一刀の仲やし」
(一刀と霞の仲ってなんだー!)
 叫びたくなる思いをぐっと堪えて公孫賛は二人の様子をそっと覗き続ける。
 張遼は何故か、一刀の膝に座るようにして入浴している。
(何でそうなってるんだよ!)
 二人はその格好がさも当然とばかりに非常にくつろいだ様子でまったりとしている。
「んぅ……気持ちええな」
「そうだな。長旅の疲れが癒やされる感じだ」
「あんたたちねえ……その体勢は何?」
(よし! 流石詠、よく言った!)
 小さく拳をぐっと握りしめて心の中で賈駆を称えながら公孫賛は三人のやり取りを一層凝視する。
「まあまあ、詠も座り」
「ちょ、何言ってるのよ……あ、もう。しょうがないわね」
 張遼が、二人を威嚇するように半眼で睨んでいる賈駆の腕を掴んで引き寄せる。彼女は不満を口にしているものの、瞳にはまんざらでもないと書いてある。同じ女である公孫賛にはそれがはっきりとわかる。
(詠、お前もか!)
 信頼していた部下に裏切られたことに対する悲痛な叫びが公孫賛の胸の中で響き渡る。
「なんだ? 照れなくてもいいじゃないか。俺と詠の仲なんだし」
(だから、その仲はどんな仲だ!)
 ちょこんと腰掛ける賈駆を抱き留める一刀の言葉に血を吐きそうな程の勢いで内面で叫びを発する。
「でも、ええんか?」
「ん? なにが」
 胸板にもたれかかりながら一刀の顔を見上げる張遼と彼はじっと見つめ合っている。互いに熱気にあてられたからか火照った顔をしている。まるで、これから愛を語らい出しそうである。
「こんなん誰かに見られたら色々マズいんちゃうん?」
「まずい……かもな」
(そらそうだろうな……と思ったが、別段凄い反応するやつなんてうちにはいない気がするような)
 公孫賛が不思議に思い首を傾げるが、次の一刀の一言に身を硬直させざるを得なかった。
「特に白蓮とか、な」
 自分の名前が出た瞬間、公孫賛の鼓動は最高潮に達し、のぼせかけてしまった彼女は気を失いそうになる。
「ああ、そうかもね。あんたが色欲の権化だと知ったらさぞかし衝撃を受けるでしょうね」
「そうなんだよなあ……最近は仕事の忙しさも相まってこれといって仲良くやってないからな。って、誰が色欲の権化だ!」
 公孫賛は耳を風呂敷のように大きく広げて彼らの声を聞き漏らさないようにする。
(仕事が忙しくてだと……こっちは、お前と接触しようとあれこれしてるんだよ! だけど、何故か間が悪くて……)
 ことあるごとに邪魔が入って断念してきたこれまでを思いだし公孫賛の目頭が不思議と熱くなる。
「今更でしょ。まあ、それ以前に……って、ちょっといいかしら」
「何だよ? 改まって」
「いや……何だか硬いものがお尻に当たってるんだけど?」
 頬を熟した林檎のような朱の色で美味しそうに染める賈駆にジト眼で睨まれた一刀が頬を掻きながら苦笑を浮かべる。
「実は二人と密着してるもんだから……その、興奮してきちゃって」
「あ、あんた……やっぱり色欲の権化ね。否定する権利は完全に失せたわよ!」
「し、しょうがないだろ。どっちも可愛いし柔らかいし良い匂いだし我慢がきかないんだよ!」
「うっ、だからってこんなに……ふあっ、すごく……熱い」
(湯か? 湯が熱いんだろ? なあ、そうだと言ってくれ!)
 祈るように賈駆を睨み付ける公孫賛を余所に張遼がなははと笑いながら賈駆に語りかける。
「まあ、一刀もウチらに対しては気が緩んでまうんやろ? ええやん。そんだけ親密になってるっちゅうことやで」
「……そ、それとこれとは……その、別よ」
 ぽそぽそと小さな声でそう告げると賈駆は真っ赤な顔で俯いてしまう。
(何で、そこでいつものように一刀を叱りつけないんだぁ!)
 心の内でそう叫んだところで、公孫賛はあれ、と首を傾げる。
(一刀が色々と抑えられないのと親密な関係ってのはどういう繋がりがあるんだ?)
 疑問に取り付かれた公孫賛が目をそらしてる間に、水音がして誰かが湯船から出た。
 慌てた公孫賛がそちらに視線を巡らせると、浴槽の縁に腰掛けた一刀が両脚の間でびんびんに逆立っている肉の角を賈駆と張遼の前にさらけ出している。
「折角だしさ。二人で処理してくれないか?」
「ひっ……にゃにおっ! ボクがそ、そんなこと――」
「んんー? ええよー、ウチは構わんで」
「え? し、霞?」
 口元を猫の様に、にいと歪めると張遼は煮え切らない様子の賈駆を尻目に一刀の天高く聳える竿を愛おしそうに見つめながらそっと手を添える。
 それを見下ろしている一刀が上気した顔をほころばせて頭を掻く。
「やっぱり、自分でどうにかするよりは可愛い娘にしてもらえる方が断然いいからな」
(一体、どういうことなんだよ……)
 公孫賛の心に湯気が差し込み曇りを生じさせ始めたのは丁度この辺りからだったのかもしれない。
 張遼は一刀の分身を愛でるようにゆっくりと筋に指を這わせたり、人差し指と親指で作った輪をひっかけたり、時にはきゅっと握ったりと丹念に弄っている。
 一刀も、その行為を受けて眼を細め悦に浸っている。
「ん……今回は、なんだかじっくりだな……」
「この間はちょっとウチも性急すぎたからな」
 そう答える張遼を隣の賈駆がじっと見ている。彼女の心中は一体今、どのようなものに覆われているのだろうか。公孫賛同様に重しのようなものが纏わり付いているのか、それとも、その反面で彼女が抱いている熱く滾る感情を抱いているのか。
 どう考えても後者なのだろう。賈駆は淫らな行為に及んでいる二人の顔を何度か交互に見ると、眼を一点に集中させながらゆっくりと一刀の脚の間に手を伸ばしている。
「なんや? やっぱり詠もしたくなったんか?」
「そ、それは……その……目の前でそんな風にされてたら無視できないじゃない」
 二人が悪いと責任転嫁しているが、賈駆は気付いているのだろうか?
 無視できないのならば風呂から出ればよいということに。
「なら……出ればよかったのにな」
 一刀がまさに公孫賛が思ったのと同じ事を口にしたのは賈駆が彼の男の象徴を手にしたとろだった。
「ーーーっ!」
「はは、かわええな。ちゅっ……ん、照れとるんやな」
「そうなんだよな。詠は、普段のこうツンツンツン子なところとこういったときの可愛らしさの差がたまらないんだ」
 肉棒に舌を這わせながら喋る張遼に頷きながら一刀は、眼を見開いたまま顔を硬直させている賈駆を見てにやにやとイヤラシイ笑みを浮かべている。それに気がついた賈駆がきっと一刀を睨みつける。だが、その一方で硬質化した一刀の一部から手を離す素振りは見せない。
 それどころかゆっくりとだが掴んだ手を上下に動かし始めている。
「だから、ツン子って言うな!」
「何を言う、ツンもデレも個別に楽しめるから二つ、更に相乗効果でもう一つ。計三回は味わえる……そう、一石三鳥こそがデレを持つツン子という存在なんだ!」
「い、言ってる意味がぶっ飛び過ぎててボクにはわからない……」
 熱く語る一刀だが、棍棒をしごかれているために息も荒く、傍目から見れば変質者もしくは変態である。
 そして、そんな彼を見た賈駆は若干引いているものの、手で一刀の分身を握りしめており、非常に奇妙な形を形成している。
「はあ、なんでこんなやつを……」
「ま、それは今更やろ。なんとゆうてもウチらはもう一刀のモンになってしもうたんやからな。後の祭りっちゅうことや」
「……それは、まあ、そうだけど。うう」
 二人の会話からこれまで知ることのなかった事実を知った公孫賛はその衝撃の大きさに軽く目眩を覚える。
(あいつら……そういう関係だったのか)
 愕然とする公孫賛を余所に、彼女たちは行為を徐々に積極的なものへと変えていく。
「ん……こうひて、溜まった唾液を垂らひて……」
 張遼が口元から透明の粘液を垂らして一刀の亀頭にギラギラとした輝きを与えていく。
 粘膜が敏感な部分を覆っていくことに快感を覚えたのか一刀の身体に力が入ったのか腹筋の溝が一層深く陰影を作り出している。
 賈駆も賈駆で一刀の腿に舌を這わせてつつと付け根へむけてゆっくりと動いている。
「ちゅるっ、ん……っ、だいぶ、ぴくぴくしてきとるな」
「ん……っく、二人とも、急に手慣れた感じになりやがって……くっ」
「ちゅっ……れろ……んっ、あのねえ。その理由はあんたが一番よく分かってるんじゃないの?」
「それはまあ、そうだけどさ……うっ、そこいい」
 竿の下にぶらさがっている袋をぐにぐにと張遼に握られた一刀が嬌声を漏らす。その様子を見ながら公孫賛はごくりと唾を飲み込む。
 情けないと思いながらも公孫賛はこんな光景を見ながらも身体を熱くさせてしまっていた。
 公孫賛は、自分以上に親密な関係を築いているように見える二人に対する嫉妬、一刀を遠くに感じるが故の喪失感、厭らしい行為を目撃して昂ぶる欲情、ありとあらゆる感情によって頭の中がごちゃまぜになり、あらゆる言葉がごった返していた。
 混乱によって茫然自失となる公孫賛の前で、経験の浅い彼女にはついていけそうにない口淫技を繰り出す張遼と賈駆。
(どこで、こんなにも差がついてしまったんだろう……)
 公孫賛はずっと、一刀と結ばれたことがあることを何よりの優越だと思っていた。
 だが、目の前ではそれ以上の関係であることを匂わす会話、行為が行われている。公孫賛の中にある何かが音を立てて崩れ落ちていく。
「ん……ちゅっ、こうして二人でするのも……ん」
「なんや、懐かしいんか? ……れろ」
 ついには二人して一刀の肉棒に舌を這わせている。玉の方へと下がったり、亀頭へと上り詰めたりとせわしなく動いては一刀に刺激を与えている。
 快楽に溺れた表情をした一刀がだらしなく緩ませている口から涎を垂らしつつ、荒い息の中何か喋り始める。
「でもさ、こんなことしてるの誰かに見られたらどうなるんだろうな?」
 二人が聞き漏らさないようにだろうか、語気は明らかにこれまでよりも強めである。
 そして、一刀の言葉を聞いた二人のうち、賈駆の方がぴくりと硬直した。
「……で、でも、みんな入った後だろうし、誰か来るなんて」
「わかんないぞ。まだ、遅れて入ってない人だっているかもしれない」
 蕩けた瞳で一刀を見上げる賈駆に彼はあくどい笑みを浮かべてニヤリと笑いかける。
「み、見られたにしても……べ、別にどうとでもなるわ」
「それはどうかな。人というものは噂話が好きだからな。あらぬ噂が流れるかもしれないぞ」
「なによ、あらぬ噂って」
「俺と詠が実は月をのけ者にして厚い主従関係を結んだとか」
「けほっ、ゆ、月は関係ないでしょ!」
 熱い竿の先を口に含もうとした賈駆は動揺からか咳き込んで顔を離してしまう。だが、すぐに垂れてきた木賊色の髪を掻き上げながら亀頭をぱくりと咥えた。
「わからないぞ。そういった悪い噂が流れて月から恨まれたりしてな」
「んぅっ!? ふ、ふざけないでよ。そんなことになるならボクはもう止めるわよ!」
「じょ、冗談だって、こんなぴったりに頃合いを見計らったかのように風呂に入る間の悪いやつもそういないだろ」
(ここにいるぞ)
 叫びたくなるが実行するような気力のない公孫賛はため息を吐くことしかできない。そんな彼女の息遣いは、すっかり熱の籠もった荒々しいものとなってしまっていた。
「んっ……ちゅぱ……ちゅ……っ」
 明らかに湯船からするものとは違う水音が浴場内に飛び交い、公孫賛の耳を犯す。
(早く終われよ、もう……)
 耳を塞ぐことも忘れて聞き入ってしまっている自分も嫌だが、それ以上に一刀が二人との関係を隠していたことがたまらなく辛い。だが、彼女のそんな思いなど露知らぬ一刀たちは更に昂ぶりを見せていく。
「ん……むだな……ちゅっ……おひゃへりは……もう……ええんひゃう?」
「ほうね……ちゅるっ……ん、先走りが……出てじゅる」
 熱心に亀頭や竿を舐め回す二人に応えるように一刀も先程よりも腰を深く突き出している。
「なあ、一刀。こういうのはどうや」
 肉棒から口を離し、にやりと不敵な笑みを浮かべた張遼は自分の胸を左右から掌でぎゅっと押してその大きさを一層強調してみせた。
 そして、その谷間に一刀の肉棒を挟み込んだ。
 浅めに入りこんだ一刀の分身に合わせるように張遼の柔らかい肉まんが形を歪めている。
「そ、それもいい……うん、すごく、いい」
「…………ボクには出来ないわね」
(私も微妙だな……)
 賈駆の小さな呟きに従うように公孫賛は自分の胸をむにむにと弄ってみる。挟めそうな気もするし、できないような気もする。
 そうして試行錯誤してなんとかできないかとしている間に一刀の艶声がより大きくなり始めている。
 見れば、賈駆が亀頭を咥え竿を張遼が胸で挟み込み、更には玉を二人で揉みしだくという連携を繰り出している。
「くぅ……これは、流石に堪えられない」
「ええんやで、もう出してもうて」
「ちゅ……っ、ん……んれろ……ちゅぱっ」
「うあ、これ以上はも、駄目。出るっ」
 そう吐き捨てると一刀は賈駆の髪を乱雑に掴んで獣のような方向を上げて腰を勢いよく突き出してそのまま小刻みに震えながら停止した。
「んぐっ……ぷはっ……あ、ちょっとれちゃっら」
「ああ、構へん構へん。こんなの、こうぺろっとな」
 賈駆の口からどろりとこぼれ落ちて谷間に滑り込んできた白濁液を張遼は舌で舐め取ってこくんと飲み込んだ。
 二人の瞳は怪しい色を称え、それでいて上気した顔には満足感と幸福感がありありと浮かんでいる。
 公孫賛はそんな二人を覗き見している自分が哀れに思えて肩をがくりと落とす。
(……はあ、私何してるんだろ。ん? なんだこれ……って、これ!?)
 思わず声を上げそうになるのを必死に抑えて白い肌に纏わり付いたそれを指ですくい取る。粘りけとぐにょりとした感触……間違いなく先程張遼が舐め取ったのと同じものである。
「…………」
 しばしの間じっとその白濁液を凝視した後、公孫賛は指を湯気に含まれた湿気で濡れそぼった口へと運ぶ。ゆっくりと挿入した指から一刀の出したそれを舌で絡め取っていく。
(苦い……でも、あいつらはこれを……もっと、良い状態で……)
 そこまで思考が巡ったところではっと我に返る。
「…………本当に私は何してるんだ」
 身を隠していた岩に手を突いて後悔の念に襲われて倒れそうになる身体を支える。
「さて、そろそろ出るか」
「えー! もうちょっとゆっくりしてもええやん」
「いや、流石に長く使いすぎた」
「そうね。さっきのあんたじゃないけど、本当に誰か入ってきたりしたらややこしいものね」
(既に入ってたんだけどな)
 もっとも、三人ともそんなこと気づきもしなかったようだが。公孫賛は正直、自分の着替え等に気がつかなかった不思議ではあるが、今はもうそんなことどうでもよかった。
 ただただ、胸に浮かび上がる一つの答えとどう向かいあうかということしか考えられなくなっていた。
「あの時、私に抱いたのは〝好意〟ではなく、〝同情〟だったのだな……一刀」

 †

 気がつけば誰もいなくなった浴場。ただ一人、公孫賛だけが残されていた。
 胸の高まりは最高潮に達し、顔どころか体中が火照っていた。
「なんだったんだよ……私と一刀の関係って」
 汗に混じり透明な雫が瞳からこぼれ落ち、水面に波紋を作る。それはまるで彼女の心のようだ。
(この間から思ってはいたんだ……あいつは、いろんなやつに手を出してる。なのに、私には……見向きもしない)
 両手の指以上はある公孫賛の人生は、基本的には普通、もしくは多少間の悪いことが多いといえるものだった。
 だが、今ほど最悪だと思ったことはないだろう。
 仕事の用事で鳳統の部屋を訪れたとき、少女と仲間たちは非常に楽しそうに猥談に花を咲かせていた。ところどころ聞こえた部分を脳内でつなぎ合わせることすら可能だった。
 これ以上長居するとのぼせて倒れかねないと公孫賛は浴槽を出て歩き出す。
「雛里たちは……一刀のためにって様々な性技を研究しているらしいし、数え役萬☆姉妹の三人は何やら瓦版に拠れば白い男と密会だなんだとこの界隈を騒がせているようだし……それに引き換え私というやつは。というか、私はそれ以前にどうやってあいつに声を掛けてもらうかだよな……あれ?」
 はたと公孫賛は足を止める。
(私……あいつから誘われてないじゃないか。あの時だって、私から迫っただけで……まさか、まさかあいつは私のことなんて!?)
 ほんの一瞬、負の思考が脳裏を掠めるやいなや公孫賛の全身からは血の気が引いていった。
 骨を抜き取られたかのように足はふらつき、視界は靄がかかったように外界を認識出来なくなる。
 それから、公孫賛は無意識のうちに着替え、脱衣所を後にして廊下をさまよい始めた。
「……ぐす」
 鼻を啜りながら公孫賛は歩を止めると、壁に額を当て、手をつき体重をかけてよりかかる。
 何かが胸から込み上げてくるのを堪えるように唇を噛みしめる。
 信じたくはなかった。だが、彼女の心中で膨れあがるその想いは留まるところを知らない。
 諦めたくない想いと、現実を受け入れようとする理性が混じり合い思考が火花を散らす。
「はあ……ホント、どうしたもんだろうな」
 やはり、のぼせていたのか公孫賛は頭がぼうっとしてくるのをうっすらと感じる。
 どこを見ようとしているのか分からないほどに視線が定まらない。
 彼女は倒れそうになるのを堪えて壁に何度も手をついてふらふらと歩き続ける。
「どうしましたの? 顔が真っ青ですわよ?」
 公孫賛が声の方に顔を向けると、眼を丸くした袁紹が立っていた。
 湯上がりのままほっつき歩いていたのだろう。袁紹は量の多い髪の毛を結っており、きめ細やかな肌をした首筋がくっきりと浮かび上がっている。
「なんでもない。悪いが一人にしてくれ……」
「何があったのか、知りませんけど。わたくしで駄目なら一刀さんにでもお話になってはどうですの? 意外と聞き上手……とかなんとか、斗詩さんが仰っておりましたわよ」
「…………そうだな」
 袁紹の言葉に頷くと、公孫賛は自分に気合いを入れてぐっと大地……もとい、床を踏みしめて壁から離れて直立する。
「ありがとな、麗羽」
 そう言うと、公孫賛は少し前までとは違い力強い足取りで走り出すのだった。

 †

 風呂から上がった一刀は、混浴した二人と別れてゆったりとした足取りで自室へ戻ろうとしていた。
 廊下を歩く彼の前方から魔女帽子をひょこひょこと揺らしながら一人の少女が姿を現す。
 彼女には珍しく全力疾走といった様相を呈しており、一刀は見ていて少し心配になってしまう。
 わたわたと危なっかしく走っていた鳳統は廊下の先に一刀がいることに気がついた途端一目散に駆け寄ってきた。
「……あ、ご、ご主人様」
「どうしたんだ? そんなに息を切らせて」
「……実は、今し方入った情報が」
「一体、何が?」
「そ、曹操さんが……あの、その……天子を奉戴したと」
「何だって!」
 鳳統の言葉に一刀は刹那の思考停止に陥るが、すぐに気を取り直して腕組みして唇をきゅっと引き締めて表情を険しくする。
(華琳……やっぱり、目指すべきはこの大陸を自分のものとする……そういうことなのか?)
 かつての外史、そこで彼が知り合った彼女は紛れもない覇者だった。その溢れんばかりの才知を駆使して強大な勢力を築き上げ少年の前に立ちはだかりかけた。
(あの時は、于吉や左慈が邪魔に入ってくれたおかげで逆に上手く事が収まったけど。今度は、どうなるっていうんだ……)
 再び覇王を自らの懐に引き込む、そんな自信、一刀には無い。
(いや、それ以前に彼女の率いる軍は左慈たちが用意した白装束たちに劣らぬ統制を持ってるはずだ。それどころか、戦乱の起こるよりも以前より築き上げられた絶対的な縦の関係。そして、それを〝本当の〟華琳が指導者として動かすことになるんだよな)
 一刀の掌は知らぬ間にじっとりと汗ばんでいた。その手で触れている二の腕をぎゅっと握りしめてゆっくりと唾を飲み込む。
「あ、あの……どうかなされたんでしょうか?」
「いや、なんでもないよ。それで、その後は何かあったのか?」
「そ、それがどうも妙な動きが見られるそうで」
「妙な動き?」
「はい。そちらは直接的には我が軍に影響は出ないと思われるのですが。曹操さんは、どうやら領内の各地から家畜などを大々的に移動するよう命じているそうなんです」
「移動って、どこに?」
「長安です」
「なんでまた? もしかして、そこに本拠を移すつもりなのか? でも、それはおかしいよなあ」
「え? 何故ですか」
「いや。なんでもない。こっちの話だ」
 不思議そうに見つめてくる鳳統にぶんぶんと手を振って苦笑を浮かべつつ適当に誤魔化すと一刀は彼女を見つめ返しながら質問を投げかける。
「ところで、雛里は何か思うところはないかな。その動きについて」
「……そうですね。多分なんですけど」
「うん。予想でもいい、聞かせてほしい」
「恐らく、集めた兵糧、家畜や財物の量などからどこかを攻めると思われます。そして、その対象は西方、涼州の馬騰さんの率いる西涼連合かあるいは益州にいる勢力かになると思います」
「なるほどな。まあ、わざわざ長安まで運ばせるんだ。そう考えるのが妥当だろうな」
「あ、でも、その……これは、飽くまで私の考えであって実際にどうかは」
「いや。俺は雛里の予想はあってると思う」
「え?」
 一瞬の迷いもなく断言されたからか、鳳統は眼を丸くしている。それを見て可笑しそうに笑いながら一刀は彼女に感謝の言葉を告げる。
「ありがとう。おかげで、俺が次に何をすべきかわかった気がするよ」
「あわわ、あの、そんな……あぅ」
 照れる鳳統に微笑みを浮かべて頷くと、一刀は踵を返すようにして駆け出す。
「白蓮には後で伝えておいてくれ」
 それだけ言い残すと、一刀は一心不乱に脚を動かす。その胸は走っているためなのか、どくんどくんと強く脈打っている。
 早く自室に戻って準備をしたいと考え逸る気持ちに動かされるように一刀は走る。その時だった、
「一刀!」
「白……蓮?」
 一刻を争うほどに急いでいる一刀だったが、彼女に呼び止められては立ち止まるしかなかった。
「どうしたんだ。そんなに急いで」
 先ほどの鳳統程とはいかないにしても呼吸を乱しかけていた一刀は、息を整えると苦笑を浮かべて公孫賛の質問に答える。
「いや、その……ちょっと、厠に」
「ふうん。ま、いいや。少しばかり時間を貰えるか?」
「え? でも……あ」
「何、大した時間は取らせないって、どうした?」
「いや、なんでもない」
 一瞬、先ほど鳳統から聞いた話をすべきかと考えたが、一刀はそれを止めた。
「このことは俺の胸の内に秘めておくべきなんだよな……」
「一刀?」
 訝しむ公孫賛にはまだ言うことができない。それが一刀の結論だった。
 一刀は少々大きな行動に出ようと考えていた。そして、同時にそれによって彼女に迷惑をかけるわけにはいかないということも思いの一つとして抱いていた。7
(全ては俺の自己満足にすぎないんだからな)
「……ごめん。なんでもないよ」
「なあ、一刀。一つだけ訊かせてくれ」
 厭に真剣な表情で見つめてくる公孫賛。その瞳はこれまでの彼女からは感じられない恐怖を帯びている。一刀は思わずその迫力に負けて後ずさりしそうになるが動揺を見せるわけにも行かないと踏ん張ってこらえる。
「お前、私に何か隠してないか?」
「っ!?」
 一刀の胸が高鳴る。今、彼はこれまで彼女に黙っていたことに加えて新たに一つ、大きな隠し事を作ったばかりだった。
「その様子だと。ある、と考えていいんだな?」
 僅かに怒気を孕んだ公孫賛の声に一刀は叱られた子供のように小さく頷き返す。
 そして、彼女から僅かに眼を反らすと口を開く。
「今は……まだ何も言えない……ごめん」
「何でだよ。別にその内容が何であれ私は――」
「ごめん!」
 一刀は、食い下がろうとしてくる公孫賛に思わず一際強い声で答えてしまった。
 しまったと思った時には遅かった。
 公孫賛はぷるぷると肩と握った拳を振るわせて俯いてしまった。何と声をかければ良いかと一刀が悩み始めて間もなく彼女はがばっと顔を上げた。
「……っ! もうお前など知るか!」
「………………」
 何も言うことができなかった。一刀にはただかけ去っていく彼女の姿を見送ることしかできない。
(何でこうなっちゃうんだろうな……俺はただ、白蓮のことを大事にしたいだけなのに)
 彼女を守りたい。そして、それ故に一刀の目論見を知られるわけにはいかなかった。だからこそ、必至に隠した。
 なのに、彼女は泣いていた。
「ごめん、白蓮……」
 胸に抱く一つの考え。それは大切にしている相手を泣かしてまですることなのか、一刀にとってそこに迷う余地など無かった。
 その理由はたった一つ。
「彼女もまた、俺にとっては何とかしてあげたいくらいに……大切な人なんだ」




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