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SSリスト <<第六十話 >>第六十二話
「無じる真√N61」
一刀の元から逃げるようにして駆け出してきた彼女は厩舎へと向かった。
かねてより可愛がってきた愛馬を連れると、彼女はこっそりと城を出た。
誰かに見つかれば呼び止められるかもしれないなどという懸念は抱いていなかった。
それ以前に頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
悲しみなのか怒りなのかわからない奇妙な感情に翻弄されていた。
愛馬に跨がると彼女は横腹を蹴り、月夜の荒野へと飛び立つように向かう。
月光を吸い込んだ鬣がほんのりと光り、一層際立った白さが煌めいている。
後頭部で結わえた彼女の後ろ髪が風に揺れながら愛馬の尻尾同様に激しい上下運動を繰り返す。
高鳴る胸の鼓動と蹄鉄の音が重なり合う。
今は余計な事は何も考えたくなかった。
「だぁぁああ! ちっくしょぉぉぉぉぉおおおお!」
腹の底からの叫び声に合わせて胸の中に渦巻く歪んだ感情を暗い夜空へ向かって解き放つ。
公孫賛は一心不乱に馬を走らせる。
手綱を握る手にも自然と力が籠もっていく。
美しき曲を奏でるように馬蹄の音を夜闇へ響かせる。
がむしゃらにただ一心に突き進む中、前方にまばらな人影を見つける。
何か揉めているようにも見える。
一方は荷車を牽いており、もう一方はそんな彼らに詰め寄っている。
その周囲には武装した人間が倒れている。
だが、今の彼女を止めるにはそのくらいでは少々物足りなかった。
「どけどけ! どけどけぇい! ぱらりらぱらりらー!」
「うぎゃっ!」
「あべしっ!」
「な、なんだぁ!? おぶぅっ!」
一切、速度を落とすことなく突き抜けた愛馬が人相の悪い男たちを撥ね飛ばす。
公孫賛はそんなことなどおかまいなしに白馬を疾駆させる。
「……ぱらりらって何だったかな? ま、いいか」
嵐が直撃したかのような惨状に見舞われた男たちを一瞥することなく進む。そんな公孫賛を荷車を牽いていた者たちは呆然と見つめている。
彼女は視界から過ぎ去っていく彼らを無視して駆け抜けていく。
「……え? あ、公孫賛様! あ、ありがとうございますだー」
「あ、ああ、ありがとうございます」
背後でなにか騒ぐ声が聞こえる。
だが、そんなものなど彼女には関係ない。
「我が愛しの白馬よ! 公孫伯珪を風にしてくれぇ! そして、どこか遠い世界へ一緒に旅立とうじゃないか! はっはっは!」
「ひ、ひぃぃいいん!」
「そうか、お前は私の思いに答えてくれるか。いやあ、愛いやつだなぁ。……ホント、お前は最高だよ! 共に買物して、共に遠くに出かけて、一緒に寝て、そして、共に風呂にでも入ってそれから……」
「ひ……ひぃぃん」
「そうかそうか、可愛いやつだ!」
公孫賛は大口を開けて笑いながら愛馬の首筋に頬ずりする。愛馬の白く柔な肌から伝わってくる締まった筋肉の躍動と温もりが心地よい。
何故か首を動かしているらしく、美しい鬣が彼女の顔を何度も撫でる。
「よせって、くすぐったいじゃないか」
「ぶるるるぅ」
「ん? どうした、寒いのか」
いななく愛馬の首を撫でながら顔を上げると、公孫賛は訊ねる。
どうも様子がおかしい。
「おい、大丈夫かって、うわっ」
急に大地を蹴る馬蹄の音が間隔を狭めていく。
白馬の脚は公孫賛の指示無しに大地を素早く蹴っていく。
受ける向かい風が強くなるのを感じながら公孫賛はきゅっと口元を引き締める。
「そうかわかったぞ。思いきり風を浴びて頭を冷やせということだな。そうだなぁ……少々感情的になっていたかもしれんな。よぉし、いくぞぉぉおお!」
彼女の咆哮は夜の闇を切り裂かんとばかりに空へ向かって轟いた。
†
足の向くままに駆け回った後、公孫賛は真っ直ぐ城へ戻るのを躊躇い僅かに遠回りをしていた。
がむしゃらに動いた分、頭の中がすっきりとしていて冷静になったのは予定通りだった。
しかし、その代償として、悩みが一つ増えていた。
「……ど、どうしたら」
落ち着いた頭で考えてみれば、先ほど一刀に対して自分が取った行動は果たして彼にどのような心象を与えたのだろうか。
不安が募っていく。
(な、何かとんでもないことをしてしまったのではないか……)
溝を埋めようとした結果、一団と深い亀裂を生じさせたとしたらとてもじゃないが冗談ではすまされない。
公孫賛の額を冷や汗がつつと流れ落ちる。
帰りたい。でも、帰れない。
あのとき、癇癪を起こさず落ち着いて対処すべきだった。しかし、後悔先に立たず。既に起きてしまったことを悔いても今更どうしようもなかった。
白馬を近くに待機させておくと、公孫賛はため息混じりに腰を下ろして膝を抱える。
気がつけば彼女は森に足を運んでいた。
一人で考え事に集中するときには程よく静かな場所だった。
草むらから聞こえる虫の声、そよそよと流れゆく小川のせせらぎ。
それらに耳を傾けながら公孫賛は少年の事を思いだして表情を曇らせる。
「一刀。どうして何も言ってくれないんだ」
川縁もろとも愚かな自分を照らす月から眼を反らすように公孫賛は膝に顔を埋める。
「結局。あいつにとって私という存在は信頼するに足るものではなかったということなのか?」
「なに、しょぼくれてんのよ」
「んごっ、な、なんだ?」
「年頃の娘が、んごっはないでしょ……」
驚いた公孫賛が顔上げると、そこにはいつもの無防備な服で身を包んだ張宝が立っていた。
「国で一番偉いはずの人がこんなとことで護衛も付けずに一人で……それって正直どうなのよ?」
「我が領内で知らぬ者無しといっても過言はない有名人に言われたくはないぞ……地和」
そう言うと、公孫賛は先ほどから苦笑を浮かべている張宝をじっと見返す。
秘色色の髪が川の水面のように美しく月の光を真っ直ぐにうけ煌めいている。
毛先は風を受けてさらりと流れている。
その容姿を見ただけで、張宝が体型はともかくとして、如何に女性としての質を高めているのかがわかる。
(やはり、女として負けてるんだな……)
改めて自分、というよりはむしろ一刀の周囲にいる少女の格の高さを思い知らされ公孫賛はため息を吐く。
そんな彼女を見て鼻を鳴らすと張宝は腰に手を当てたまま距離を詰める。
「やれやれ、何か悩みでもあるわけ?」
「……別に関係ないだろ。地和にはわからないことだ」
「ふうん。そういうこと言うわけ? なら、別にいいわよ。ちぃだって暇って訳じゃないんだしぃ。このまま帰っちゃおうかなー」
そう言って踵を返そうとする張宝の短いスカートの裾を掴む公孫賛。
張宝は慌てて腰元に手を添えながら公孫賛を見下ろす。
「ちょ、ちょっと、そんなに力入れて引っ張らないでよ! 腰布が脱げちゃうじゃない」
「はっ!?」
意識するよりも先に手が伸びていた。
漸く張宝を剥きかけていたことに気がついた公孫賛は自分の手を見るやいなやスカートを離す。
「あーあ、ちょっと皺っぽくなってるじゃない」
「……すまん」
「あのねえ、無碍に扱って追い返したいの? それとも話を聞いてほしいの? どっちなわけ?」
「……すまん」
「謝られても困るのよ。どっちだって訊いてるの」
微妙にズレたスカートを直しながら張宝が向かいあうようにして腰を下ろす。
そんな彼女を上目で見つめながら公孫賛は静かに素直な気持ちを声にする。
「それじゃあ、聞いてくれるか?」
「はじめからそう言いなさいよ」
「……すまん」
「だからぁ! 謝るなっていってるでしょ」
「……すまん」
「おちょくってんの?」
「……すまん」
「ちぃのことおちょくってるでしょ? 正直に言ってみなさいよ、そしたら思いっきり鼻フックしてあげるから」
「はな……ふっく?」
首を傾げながら張宝を見ると、彼女は拳を作った状態から人差し指と中指だけを立てて公孫賛の方に見せつけている。
「一刀直伝よ。公演の時にいろいろと危ない人が暴れることがあって、そんなときに一刀がこうぐっと鼻の穴に指を突っ込んで――」
「ふがっ!?」
「……あ」
少しだけ、ほんの少しだけ詳細が気になったのだ。
だが、それがいけなかった。
公孫賛が顔を近づけたのと同時に張宝が腕を動かしたことによって彼女の鼻の穴へと張宝の指が収まってしまった。
「ふ、ふがぁっ!」
「あっははは! そうよ、これ、この間抜け面。公演のときに出た危ないヤツはこの状態から一刀に投げられてたのよね」
「ふがっ!? ふががががが!」
「うーん、誰でもやっぱりこうなるとぶっさいくよねぇー。うわぁ、酷い顔」
「ふがぁっ!」
自分で指を突っ込んでおいて最初の行動が大笑い。そんな無責任な態度に公孫賛の中で怒りが湯のようにふつふつと沸いてくる。
押し広げられた鼻の痛みと、酷い事になっているであろう自身の顔を想像することによる屈辱感で彼女は満たされる。
公孫賛は手をわなわなと震わせると、張宝の腕を掴み、握りつぶさんばかりに力を込める。
「い、痛たたたたたた、わ、悪かったって、離す。離すってばぁ」
怒り心頭であることを察した張宝が手を抜いた瞬間公孫賛は辺りに響き渡らんばかりのくしゃみをした。
「たく、何てことしてくれるんだ……へくち。くそ、鼻がむずむずする」
「まあまあ、いいじゃない。こうして間抜け面晒したってことで、悩みも躊躇せずに話せるでしょ?」
「確かに、これ以上の屈辱はそうないだろうな」
じんじんと痛む鼻腔を気にしながらも公孫賛は自分の心中を吐露し始める。
「最近、他の奴らに置いてかれてる気がしてならないんだ」
「どういう意味?」
「なんというか、他の奴らは……その、一刀との距離がな。いや、その内面的な意味でってことだけど。近づいてるように見えるんだよ。だが、私だけ未だに遠いのではないかと思ってな」
公孫賛が弱々しく語る間、張宝は組んだ脚に頬杖をついて黙って成り行きを見守っている。
「もしかして、私だけ仲間外れになってるんじゃないかと不安なんだ。ほら、私って無能だろう? こうやって、大きな顔してこの地にいられるのも八割方あいつのおかげだからな」
「そうかもね」
「はっきり言うなぁ。ま、事実だけどさ」
迷いも曇りもない返答に公孫賛はちょっぴり落ち込む。
「冗談よ。別に誰もあんたを無能だとは思ってないわよ……多分ね」
「た、多分か。まあ、いいや気にしても仕方ない。それでだ、仮に他のヤツより劣っていたとしても、私は軍の中ではあいつとの付き合いが最長であると自負してるんだ」
「間違ってはいないわね」
「なのに気がつけばあいつから信頼を一番得られていない。特に最近の一刀からはな。一番一刀を知ってるはずの私よりもあいつのことを熟知しているやつが大勢いる……辛いんだよ。実際の所は」
「よく言うわね」
「え?」
何故か不機嫌そうな声色をしている張宝にぎょっとして顔を向ける。
彼女は眉を顰めて上目で公孫賛を睨み付けている。
「あのねえ。言わせて貰うけど、ちぃと比べてあんたはまだマシなのよ」
「何故だ?」
「ちぃってば人気者でしょ? だから、公演をあちこちでやるためにも常に本国にいられるってわけでもないじゃない? まあ、一刀が付いてきてくれることもあるけど、それだって毎回ってわけでもない。それに比べて白蓮。あんたはいっぱい顔を合わせられるのよ。十分、いいじゃない」
「……あ」
言われてみればそうだった。
数え役萬☆姉妹だけではない。軍にいる多くの少女たちの中、公孫賛は一刀と共に政務をこなすことも多く、彼と共にいる時間は比較的多いといえる。
「それなのに距離が遠いですって? それはただ白蓮が臆病になってるだけじゃない」
「……そ、そうかもしれんな」
「でも、会えないからこそ会えたときに密度の濃い時間を過ごしたいとも思うんだけどね」
「それは、あの瓦版のことも含めてなのか?」
「あら、見たの?」
驚いたように口元を手で抑えているが、その声色は喜色に満ちている。
「まあな。一刀とのことだろう? あれ」
数え役萬☆姉妹に関して書かれた瓦版に男との密会に関する話が載っていたのだ。
ちなみに、男の顔は一刀そっくりだった。
「ふふ、流石はちぃよねぇ。大人気だから注目が集まっちゃってもう困っちゃう」
「お前……一刀をダシに使ったのか?」
「最初のうちは瓦版屋の隠密記者に見せつけるって目的の方が大きかったのは確かかも。やっぱ、ちぃの人気っぷりをはっきりさせたかったしね」
「汚い、流石汚い」
結局、可愛い子ぶる女など腹の中は真っ黒に違いない。公孫賛は密かにそう思った。
「でも、今だったらどうかしらね」
「どういう意味だ?」
「もし、一刀がそういうことを望むのなら答えてあげてもいいかなぁ、なんてね」
「なっ!?」
言葉や態度からは尊大さが窺われる張宝だが、その心根に関して女の勘で察した公孫賛は開口したまま硬直する。
「それにぃ、流石に若いんだし一刀もいい加減そういうことに心も傾くでしょ。そうなったら、既にちぃにメロメロな一刀のこと、きっと縋り付いてくるはずよ。そしたら、翻弄した後でなら相手してあげてもいいかなって思うわけなのよ」
「……そ、そうか」
自信に満ちあふれた声で上機嫌に語る張宝を見ながら彼女の言う〝そういうこと〟を既に一刀と済ましていることを事前の説明で言わなくてよかったと公孫賛が内心で冷や汗を拭っていると土を踏みしめる音が聞こえてくる。
「こんな夜分に一人か? 不用心な」
「ここにいる時点で、ちぃたちも人のこと言えないんだけどね」
「それにしても、こんなところを訪れるとは一体どんなやつ――」
「あらあら、白蓮さんではありませんの?」
「れ、麗羽ぁ!?」
人気のない月光り以外は暗く沈み込んだ所には似合わなそうな女性がゆっくりと二人の方へと歩み寄ってくる。
縦巻きに螺旋を描く金髪は彼女が腐っても上品かつ高位な人間であったことを物語っている。
「こんな暗く人気のないところで二人きりで一体何をしてらしたの? はっ!? そう……ですのね。これはこれは、わたくしお邪魔でしたわね」
「ちょっと待てぇ! お前、今何を想像した! おい! その頬の赤みはなんだ、顔を背けるな、こっち向けぇ!」
「いえ、いいんですの。人それぞれですもの。別に否定したりすることはしませんわ。ただ、一刀さんには少し相談した方が良いかもしれませんわね」
「やめろ! 違うと言ってるだろうが!」
「きっと、仰天しますわね……あ、もしかして公演の際に驚愕発表をなさるんですの? それなら今は黙っていた方がよろしいかもしれませんわね。でも、やはり一刀さんには……」
「だからぁ! お前、ホント人の話聞かないのな!」
「ふざけんじゃないわよ! なんで、ちぃがこんなのと!」
「こんなの? 今、こんなのって言わなかったか?」
「そうですわ。お二人に合わせてわたくしと……その、一刀さんも」
「おい! 何か、今さらりと聞き捨てならんことを口走らんかったか! だから、そのちょっと熱っぽい顔をやめろ!」
「それでは、わたくし失礼させていただきますわ」
「待てぇぇっ!」
早足でさろうとする袁紹に即座に追いつくと、公孫賛は彼女を羽交い締めにして引きずる。
気がつけば、騒ぎに合わせてすっかり失せてしまっている。
周囲の静寂、そして彼女の中に沸き立つ混沌が。
「取りあえず話を聞け。別に怪しい関係じゃない。そこはわかったか?」
「あら? そうなんですの。ちっ」
「おい! 今、舌打ちしたよな、確実にしたよな」
「それじゃあ、お二人は何をお話になっていたんですの?」
公孫賛の指摘を無視し、二人に倣って袁紹も適当なところに腰を下ろす。
「それがね、実はちぃが相談を受けてあげてたのよ」
「ちょっ、地和」
肩を掴んで制止しようとする公孫賛だったが、自分に流し目を送ってくる張宝に伸ばした腕を引っ込めることしかできなかった。
ため息を零して肩を竦めると、公孫賛は二人を見る。
「わかったよ。この際だ、麗羽にも助言を請うとするか」
仕方ないと肩を落としつつ、公孫賛は先程まで語っていたことを大まかに説明する。
袁紹は腕を組み、そこに二つの巨大な肉塊を乗せるように前傾姿勢を取ったまま黙っていたが、公孫賛が話を終えると「ふうん」と鼻を鳴らし口を開く。
「一刀さんとの距離ですの。最近は忙しそうですし、何やら急いている様子も見えますけれど、それを鑑みても少々考えさせられますわね」
「だろう? その割に仲が良いやつとは上手くやっていそうな気がするんだ」
「それで、他の誰かに心奪われてしまっているのではと憂えていらっしゃるわけですのね」
「ああ。そうだ、もしお前だったらどうだ?」
何となく興味本位で尋ねて見ると、彼女はしばし考える素振りをした後はっきりとした口調で語り出した。
「わたくしでしたら、別にそんなことくらい関係ありませんわね。多分、全く気にもしませんわ」
まったく動揺した素振りもなくその強い目力には自信が現れている。
彼女はその端整な顔をほころばせ目映いばかりの笑顔を浮かべる。
「だって、一刀さんがどこぞの馬の骨に惹かれていたとしても。結局の所、このわたくしの魅力を見せつけ、魅了すればよいだけですもの」
「麗羽……」
背筋を伸ばし真っ直ぐ自分を見ている袁紹の姿が非常に目映く、公孫賛は思わず羨望の眼差しを向けてしまう。
張宝もそうであったが、何故、彼女はかくも強くあれるのか。
自分にもその何分の一でもいいから強さがあれば。
そんな思いを公孫賛が抱きつつある中、袁紹は頬に手の甲を添えてにやりと口元を歪めた。
「……その上で、一刀さんが跪き、頭を垂れ、額を地にこすりつけながらわたくしの愛を懇願してきたら、それを見下ろしながらじっくりと捏ねるように踏みつける。そう、それだけのことなのですわ、おーっほっほっほ!」
「え、えぐい……」
「あ、でも。白蓮さんごときには真似出来ませんわね」
「何だと!」
「それは言い過ぎじゃないかしら? ちぃ程というのは一生どころか輪廻転生を繰り返そうとも無理だろうけど、少しは改善の余地もあるんじゃない?」
袁紹の言葉にどん引き状態だった公孫賛も二人のあまりな言いぐさには流石に堪忍袋の緒が切れた。
自分だって何か、何かできるはずだという思いが彼女の胸の中でめらめらと燃え盛る。
「見てろよ! 絶対に、ぎゃふんと言わせてやるからな!」
「……ぎゃふんて」
「うっさい! ばーかばーか! れいはのばーか! ちーほうのちちなしー!」
「なんですって!」
がばっと立ち上がる二人を後に公孫賛は白馬の背にまたがり、走らせる。
「はーっはっはっは、さーらばー!」
怒声を上げる二人を背に、公孫賛はひた走る。
(そうだ。まだやれることはあるはずだ。今までの惰弱なままの私を変えなければならないんだ!)
†
颯爽と駆けて小さくなる公孫賛の姿を見送りながら張宝と袁紹はやれやれと深々と息を吐き出した。
その背後からゆっくりと近づくと、彼女たちの細い肩へそっと手を置く。
それに反応するように振り返る二人に、にっこりと微笑む。
「二人とも、お疲れ様」
「これでよかったわけ?」
張宝が腰に手を置いて静かに息を漏らしながら見上げてくる。
貂蝉はその問いに頷いて微笑みを保持したまま答える。
「ええ、ばっちりよん。どうも、ありがと。これで、彼女の悩みも解消されるでしょうね」
「ふうん。そうなの? よくわかんないけど」
「あらん? 地和ちゃんってば、まだまだねぇ。いい? 真の漢女は女心も男心も理解出来るものなのよ」
「よくわかりませんわね」
「残念ねぇ。でも、二人とも本当によくやってくれたわね。嬉しいわぁん」
腰をくねくねと踊らせつつ、両手を開いて二人に向かって抱きつこうとするが、さらりとよけられる。
「な、なんですの! いきなり突進してくるなんて非常識ですわ」
「そうよ。貂蝉だってわかってるでしょ。この玉の肌がどれだけの価値を秘めているのか」
張宝が露出している肌をさすりながら貂蝉を睨み付ける。
貂蝉は唇を尖らせて不満を露わにしてうねうねと身体をくねらす。
「んもう! ただの抱擁じゃないの」
「どこがですの……」
「いつもながら、限度がわかってないというか。わざとやってるのかしら」
こめかみを人差し指でぐにぐにと圧している張宝と辟易した表情の袁紹を見ながら眼を細めてニコニコと笑う貂蝉。
二人は肩を落とすと、貂蝉に対する質問を口にした。
「そういえば、なんでこの組み合わせだったのよ」
「そうですわね。そちらは関係を考えればわかりますけれど、わたくしも呼ばれた理由はなんだったんですの?」
「それは、二人が白蓮ちゃんを勇気づけるのに丁度良かったからよ。似たものを持ってるし」
「……どういう意味ですの? まさか、こんなしょぼくれたくるくる髪とわたくしの豪華な縦巻き髪を一緒だと仰るつもりですの!」
「しょぼいって何よ! 本当にこんな馬鹿と同様に見てたの? ちぃ信じられなーい!」
「あのね。そういうことじゃないんだけれども……ま、いいわ。それよりも、二人こそよく協力してくれたわね。内心吃驚でお胸が未だにどっきどきよ」
険悪なムードになりつつある二人の注意を逸らすように話題変更をする。
二人はまだ何か言いたそうにしていたが貂蝉の質問に対してそっぽを向きながら答える。
「別に……。えっと、ほら、やっぱり競うなら、相手には強くあってほしいじゃない?」
「そうですわね。弱っちい敵でしたらちょいちょいのぷーでおわりですもの。やはり、強敵を倒してこそ真の勝利を実感できるというものですわ!」
そうハッキリと断言した二人の目はとても活き活きとしている。
今を全力で生きる者の眼である。
迷いを持たず、自分の道を突き進む。そんな性分を二人とも持っている。
それを理解しながらも貂蝉は口元を綻ばせながら二人に質問をする。
「でも、本当によかったの? もしこれが原因で、本当にご主人様を白蓮ちゃんに取られたりしたら目も当てられないわよ」
「ふん。ちぃなら、あの程度の相手に負けるはずはないしぃ」
「同意ですわ。ただし、最後に勝利するのはこのわたくしですけれど」
袁紹が涼しい顔でそう告げると張宝の瞳が一際鋭く険しい刃物の様になる。
「ちょっと! ちぃこそが勝ち取るに決まってるじゃない。何しろ、何千、何万……いえ、何十万の男どもから想われてるくらい魅力的なんだから」
「あぁら、それはどうかしらね。このわたくしは名家の出である袁本初ですのよ。そこら辺をぷらぷらしてそうなちんちくりんに負けるはずありませんわ-、おーっほっほっほ!」
「あんたって本当にむかつくぅー!」
「なんとでもおっしゃりなさいな。所詮、子供の戯れ言。痛くも痒くもありませんわー!」
「年増」
たった一言。
それだけで空気がぴしりと固まった。いや、空気だけでなく袁紹までもが硬直していた。
「今、何ておっしゃいました?」
ご機嫌な笑顔をひくひくとひくつかせながら袁紹が首を傾げる。
「だーかーら。…………年増のおばはん」
「誰が年増ですってぇ! まだまだぴちぴちですわよ! これだから小便臭い小娘は嫌いなんですの」
ここに彼女の連れがいたら間違いなく「品がないですよ」とツッコミを入れていただろう。
だが不幸なことに連れはおらず、それは即ち名ストッパーの不在を表していた。
一方の張宝も袁紹の発言を受けて怒りを昂ぶらせていく。
「だ、だれが小便臭いガキよ! これでも、立派なれでぃなんだからね!」
「あーら、そんなぺったぺたのずどんのどこが〝れでぃ〟なんですの? おへそでお茶が飲めますわ」
顔を突き出してじっくりと張宝の全身を見た上で袁紹は鼻で笑う。
だが、張宝は挑発には乗らず、袁紹を見てにやついている。
「ふふん。それを言うなら、茶を沸かすでしょ? やっぱ、あんた頭の栄養全部、その無駄な脂肪にもってかれたんじゃないの?」
「な、何てお下品な」
勝ち誇った張宝の態度に袁紹が歯をきりきりとならす。
「一つだけでも、あんたの矮小な脳くらいは詰め込めそうなのに、それが二つもあるんだもんねぇ……そりゃ、馬鹿になるわよね」
「むきーっ! い、言っていいことと悪いことくらい弁えなさいな!」
ぎゃあぎゃあと喚き合う二人を余所に貂蝉は空を見上げる。
(いずれ、ご主人様にとっての試練が訪れる……それまでに無茶しなければいいんだけれど)
「なによぉ!」
「なんですの!」
長々と言い合いを続ける二人に嘆息すると、笑いかける。
「あらあら……本当にご主人様ってば罪なお方なのね。でも、いい加減その辺でやめておきなさいよ、お二人さん。そろそろお城に戻らなきゃ。ね?」
「うるさいですわね。化け物は黙っていてくださらないかしら!」
「あっ、馬鹿!」
「また、人のことを馬鹿と。余り、バカバカというものでは……? どうしたんですの」
「…………」
「急に黙り込んで一体どうし――ひっ!?」
虫の声と小川のせせらぎがあたりを支配している。
鬱蒼と生い茂った木々は風に揺られ気持ち良さそうに枝を揺すっている。
ほんの僅かな時間でその森は公孫賛を初めとする来訪者が現れる前の静けさを取り戻していた。
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