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 無じる真√Nー02話




 あまりの自然な流れに受け流しそうになった驚愕の事実に一刀は思わず大声を上げた。
 そんな一刀の内情がわかるはずもない公孫賛が唐突に大声を上げた一刀を迷惑そうな表情で睨みながら口を開いた。
「な、なんだよ。いきなり人の名前をでかい声で……恥ずかしいだろうが!」
 余程、うるさかったからだろう公孫賛は耳を塞いでいた。そんな公孫賛が少々怒り気味に一刀へ向かって疑問と文句を投げかけた。
 その後ろにいる白馬の騎兵たちももの凄い目つきで一刀を睨んでいる。
(まぁ、さすがにいきなり主人の名前をしかも大声で呼ばれたらそうなる……かな?)
 そんな感想が脳裏をかすめたが、一刀自身そんなこと気になどしていられるほどの余裕など一切無かった。
 それをそのまま公孫賛へとぶつける。
「い、いや、だって……こ、公孫賛は袁紹に討たれたっていう話を以前、聞いてたから驚いちゃってさ」
 そう、戦乱の世となった際、袁紹によって討ち取られたという報を一刀は確かに受け取っていたはずだった。
 意味不明な状態にわけがわからないといった様子で混乱している一刀に公孫賛が怪訝そうな顔をしながら声をかけてきた。
「なぁ……」
「ん? なに?」
「私が袁紹に討たれたって、一体何の話だ?」
「えぇっ!?」
「いくらあいつが馬鹿でも、この時世に民や各国の反感を買うような真似はしないだろ」
 とくに一刀をからかっているような素振りもなく、至って普通にそう述べる公孫賛を見る限り、嘘というわけでもなさそうだった。
 そして、それはすなわち公孫賛が袁紹に攻め込まれていないということが真実なのだということを一刀に感じさせた。
 さらに、無闇に攻め込む様な真似を世が許していないという言葉から今は戦乱の世ではないのだろうか、という考えが一刀の脳裏を過ぎる。
 そして、それらのことから今いるのは一刀の知る"あの"世界――もとい外史――とは違うものであるということなのではないだろうかという結論を一刀に導かせた。
(や、やっぱ、みんなには会えないのか……)
 薄々と感じていた可能性をつきつけられたことで、わずかながら持っていた希望が絶望へと変わっていくのを感じ、一刀は思わず服の胸の辺りをぎゅっと握りしめた。
「おーい、自分の世界に入り浸るな〜」
 一刀が、衝撃の事実によって一人気落ちし項垂れていると、公孫賛が声をかけてくる。
「…………そういえば…………いたんだったな」
「なに?」
 ぽそりと呟いた一刀に向かって公孫賛が聞き返してくる。
 何気なく呟いた言葉を聞かれたのかと思い胸をドキリと弾ませながら一刀は誤魔化すように答える。
「…………い、いや、すまない。少し考え事していただけだよ」
(本当は忘れてたんだけどな……さすがにこれは言わないでおくか)
 さすがに失礼だったかと思い一刀は苦笑を浮かべる。そんな一刀を気にした風もなくただ咳払いをして一言「そうか」とだけ言うと公孫賛は場を仕切り直し、一刀へ疑問を投げかけた。
「で、お前は一体何者なんだ?」
「え?」
「いや、この辺じゃ見かけない格好をしているし、流星の落下場所に居たんだ。そんなやつを見つけたら不思議に思うだろ? 普通は」
 そう言った公孫賛は先程から一刀に対して、さも奇妙奇天烈摩訶不思議なものでも見ているかのような視線を向けている。
「え、そうなのか?」
 一刀自身、気づいたときにはすでに大地に寝そべっていたわけであり、それまでの情況などわかっているはずなかった……。
(というか、そんなすごいことが傍であったんなら起きろよ、俺! なにぐっすりと寝てんだ……)
 あまりにも図太い――この場合むしろ鈍いといえる――自分の神経に一刀は頭を抱えざるをえなかった。
 そんな一刀に恐る恐ると言った様子で公孫賛が声をかけてくる。気持ち表情が引き攣っているようにも見える。
「も、もしかして……気づかなかったのか? 流星が落ちてきたというのに……」
「あ、あぁ……恥ずかしながら気づかなかったよ」
「おいおい――いや、まてよ。ということは……まさか……いや」
 てっきり呆れられるとばかり思っていた一刀は、急になにやらぶつぶつと独り言を呟き始めた公孫賛に戸惑う。
「え、えーと」
「あぁ、こんなところじゃなんだな、よかったら私のところに来るといい。」
 急に考え込み、腕を組んで一人うんうんと唸りはじめた公孫賛にどう接すればいいかと一刀が戸惑っていると、当人である公孫賛が気軽に誘いの言葉をかけてきた。
「えっ!? いやだって……」
 公孫賛の思わぬ言葉に一刀は混乱し、すぐに言葉が出てこない。
 そんな一刀の反応にやれやれといった様子で肩を竦めると、公孫賛は口を開いた。
「どうせ、行く当てなどないんだろ?」
「そ、それはそうだけど……」
 思わず、そんな簡単に誘うのは良くないのでは、と一刀が反論しようとするのと同時に白馬隊の中から一頭の白馬前へと出てきた。
 そして、その背から飛び降りた一人の兵が二人のもとへつかつかと歩み寄る。
「お待ちください! さすがにそのような不審な者を連れていくというのはいかがなものでしょうか!」
 さすがに黙って見過ごさずにはいられなかったのだろう、口を開くやいなやしばし強めの口調で公孫賛へと進言を行った。
 兵のその様子を見ながら一刀は心の内で何度も頷いていた。
(そりゃあ、今の俺のような身元不明の怪しいやつをいきなり連れて帰ろうなんて言われたらなぁ……やっぱりこの人が言ってることこそが正しい判断なんだよな)
 一刀が一人納得していると、公孫賛が落ち着いた口調で兵の言葉に対応していた。
「確かに、お前の言うこともわかるさ」
「ならばっ!」
「落ち着け。私はだな……この男は、おそらく管輅の占いに出てきた”あれ”なのではないかと思っている」
 なにやら、口論を始めた二人。一刀は完全に置いてけぼりをくらう。
 なんとか加われないかと一刀は思い切って――とはいっても小声――で呼びかけてみる。
「お……おーい、俺のこ――」
「し、しかしですね!」
「――忘れ――」
「はぁ、だから落ち着け。いいか、仮にこの男が私に対して何らかの悪意を持っていたとしてだ……私がそう簡単にやられると思うか?」
「――あぁ……完全に俺は無視なんだね君たち――」
 諦めた様子で二人を見つめる一刀。
 そんな彼の言葉を遮るように兵が一層背筋を伸ばして大声を出した。
「いえ! そのようなことはないと思っております!」
「なら、よいではないか。それにこの男から悪意は感じられない……少なくとも私はそう思っている」
 そう言うと、公孫賛はようやく一刀の方へと視線を向けた。自分の存在が忘れられていなかったことに安堵する一刀にもう一つ視線が突き刺さる。公孫賛につられてなのか、彼女の口論相手である兵も一刀を見ていた。
 それに対して一刀が、男に見つめられるのはあんまり好きじゃないな、などという失礼な感想を抱いていると。
 まるで一刀の心中を読み取ったかと思えるくらいちょうど良く、兵が一刀から視線をそらしそのまま公孫賛へと瞳を向けた。
「わかりました。そこまでおっしゃるのでしたら信用いたしましょう。一応は」
「あぁ……すまんな、我侭を言ってしまい」
「いえ、むしろこちらが出すぎた真似をいたしてしまいました。申し訳ありません」
「いいから、気にするな。この話は終わりにしよう。それよりもさっさと城へ戻るぞ」
 公孫賛がそう告げると、目の前の兵だけでなく白馬隊全員が声を上げた。
「はっ!」
 それが会話の終わりの合図となり、また、公孫賛の指示に従って馬を反転させ公孫賛軍の本拠へ向けて馬を進め始めた。
 と、そんな様子をぼうっとしながら眺めていた一刀に声がかけられる。
「ほら、お前も私の後ろに乗るといい」
 一刀が声の方へと視線を向けると、すでに白馬に乗る準備をしている公孫賛が一刀に向けて手を差し伸べていた。
「あぁ、よろしく頼むよ」
 一刀は未だ混乱の溶けきっていない頭のまま公孫賛の手を握り返した。

 †

 公孫賛の治める城へと向かう道すがら、ただ馬に乗っているだけなのも暇だな、と白馬の背に揺られながら一刀は思った。
 一刀は暇つぶしに、先程から馬の揺れに合わせ馬の尻尾のように前後左右へゆっさゆっさと揺れる公孫賛の束ねた髪とその奥にちらちらと見えるうなじを眺めていた。
(うぅん……これでも十分飽きないけど……やっぱ別のことがしたいしなぁ)
 そう考えながら今一度公孫賛の後頭部を注視する。
 そして、いっそ話しかけるべきかもしれない。一刀はそう結論づけた。
 どうせならば、少しでも仲良くなっておきたいと一刀は思う。だから話しかけてみようと決め、声をかける。
「なぁ、公孫賛……さん?」
「なんだよ、いきなりさん付けで呼んだりして」
「ほら、さっきは気づかなかったけど公孫賛さんは太守なわけだろう」
「まぁ、そうだけど」
「なら、呼び捨ては失礼だったんじゃないかと思ってね」
「まぁ、本来はそうなんだけど……実際のところお前はこの世界のことをよく知らないのだろう? ならばしょうがないさ」
「え!? いや、その……」
 公孫賛の言葉に一刀の胸がドクンと音を立て、一層強く脈を打ち始める。
「だから、気にしなくていいし、呼び捨てのままでいい」
 その公孫賛の話を聞く一刀は半ば上の空となっていた。
(ど、どういうことだ……俺がこの世界の人間で無いと何故わかるんだ? "あいつ"の言っていた"外史"の世界を知っているってことなのか? いや、それだったら俺のことを知っているはずだ……)
 頭の中で一人考えを交錯させる一刀に公孫賛が答えを出す。
「ほら、お前はもしかしたら天の世界から来たのではないか、とか思ってさ」
「…………」
 背後にいる一刀が黙り込んでいることにも気づかないまま公孫賛は話し続ける。
「お前の来ている服も見たことが無いしな――それに――」
「天の世界……か……」
 答えは明白だった。よくよく考えれば、公孫賛の言っていた意味などわかって当たり前のことだった。
(公孫賛は"外史"のことなんて知らない……当たり前だよな。公孫賛はただ単に俺が別の……そう、ここで言う"天の世界"から来たと思った。ただ、それだけだったんだ)
 一刀はそれと同時に半ば確信した。目の前にいる公孫賛は一刀の知る公孫賛とは別人であるということを……。
 そして、やはり、ここは"あの世界"とは違う世界なのだろうという考えが一刀の頭の中で思考の果ての結論として導かれた。
「…………」
 気がつけば公孫賛が黙り込んでいた。一刀はその背中を見ながら自分が黙り込んだことに気づいて、気を利かせて黙ってくれたのだろうと思った。
 我に返った一刀にはその気遣いが逆につらかった、正直なところ沈黙が気まずい。
 やむを得ず、一刀は今までとは別の話題を振ってみる。
「あぁ、そういえばさ」
「ん? なんだ?」
「悪かったな……俺のせいで大事な仲間と言い争わせちゃってさ」
「べ、別にそんなことお前が気にする必要なんか無いって」
 今までの沈黙が嘘のように公孫賛がわたわたした様子で答えた。後ろから見ている一刀の瞳に、わずかにのぞく頬と耳が赤く染まっているのが映った。
 そして、それと同時に公孫賛が恐らく真っ赤であろう顔を一層前へと向けた。
 そんな公孫賛の様子は、一刀が記憶している中のとある一場面を思い浮かばせた。
 それは"かつての世界"で公孫賛に会ったときのことだった。
 一刀が仲間たちと軍を組織して、まだ、まもない頃世話になったことがあったのだ。それがその世界での公孫賛との出会いだった。
(そういや……あの時も礼を言ったら照れていたな)
 一刀がお礼を述べると真っ赤になっていた公孫賛。その姿と今一刀の目の前にいる公孫賛の姿が一刀には重なって見えた。
 また、同時に公孫賛が照れ屋なのは一刀の記憶の中と一緒なのだと確信し、一刀は口端を上げ微笑を浮かべた。
「ふふ……」
「な、なんだよ気持ち悪いな。何一人で笑ってんだよ」
 思わず漏れていた笑いに公孫賛がツッコミを入れる。
 それに対して一刀は顔をにやつかせたまま返答した。
「いやいや、俺のような怪しいやつを拾おうなんて人はなかなかいないよなぁって思ってさ」
「おい……それは私が変人だとでも言いたいのか?」
 どうやら怒ったらしい。公孫賛は背後から見ている一刀からしてもわかるほどに頬を膨らませ、わずかに語気を強めて一刀に聞き返してきた。
 その様子に一層笑いが込み上げるのを堪えながら一刀は弁明の言葉を述べる。
「勘違いしないでくれ。別にそうじゃないんだよ。なんていうか、やっぱり公孫賛は優しい娘なんだなって思ってさ」
「なっ」
 気のせいか一瞬、公孫賛の肩がびくっと動く。そんな彼女の様子に首を傾げながら一刀は声をかける。
「ん? どうし――」
「な、なにいってんだよ、わ、私は別に……優しくなんて……いや、それよりも! やっぱりってなんだよ!」
 一刀の言葉を遮り、明らかな違和感を振りまきながら勢いよく捲し立てる公孫賛。そのあまりに露骨な慌てぶりに驚きつつも一刀は彼女の質問に答える。
「あぁ、それは……」
「それは?」
 気持ち後ろを伺うような態勢で公孫賛が聞き返す。
「公孫賛は、優しい女の子だってわかってたからだよ」
 一刀が公孫賛を見て思った感想がそれだった。今目の前にいる公孫賛は一刀の知ってる彼女と違う。だが、それでも根本は一緒なのだ。
 そして、一刀は"そのこと自体"がなのか"それに気づけたこと"がなのかは、自分でもわからないが、とても嬉しいと感じていた。そして、思わず笑顔が溢れてしまう。
「っっ!?」
 先程から、目だけを動かし一刀の方へとちらちらと伺っていた公孫賛の目が高速で前を向いた。
 あまりに不自然な公孫賛の動きに一刀は首を傾げる。
「どうしたんだ?」
「な、にゃんでもにゃ、ない……」
「本当にどうしたんだ? 噛みまくってるぞ」
「あぁーもぉー、だからなんでもないんだってば!」
 顔を先程までと比べものにならないほど真っ赤にして叫ぶ公孫賛の後ろ姿を眺めながら一刀は肩を竦める。
(うぅむ……どうやら、機嫌を損ねてしまったようだな)

 この一件を境に一刀が話を振っても反応してくれなくなった公孫賛の機嫌を元通りにすることに成功するのが城に到着したときであることなど……このときの一刀は予想だにしていなかった。




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