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 「無じる真√N09」




 劉備たちとの別れから数日後、その日の朝議は公孫賛によって告げられた一言で始まった。
「朝廷からの命に従い、私たちも近々黄巾党討伐に出るべきだと思う」
 かねてより、公孫賛は討伐のための準備は行っていた。どうやらそれの準備が完了したようだ。
 少し前には、既に劉備とその二人の義妹が義勇軍を引き連れて討伐に出ている。他にも各国の諸侯が動き始めているという情報が公孫賛軍のもとへ届いたりもしていた。
 そして今、各地で黄巾党と様々な勢力がぶつかりあうという一周の争乱状態となっている。ある者は名を売るために、またある者は自分の護るべきもののために、他にも大義のためにという者、ただ朝廷からの命に従うだけという者、それぞれの理由に沿って動いていることだろう。
「どの部隊を向かわせるのか」と言う趣の質問をする臣下の一人へと視線を向けながら公孫賛は頷いた。
「うむ、今までの賊軍とは少々勝手が違うからな、討伐戦には、私自身が出ようと思う。それに、一刀、星にも出て貰う」
「そうなると、この国の守護は一体どうするのか?」そういった意見が上がるのも薄々予測できていた公孫賛は少しだけ考える素振りを見せると口を開いた。
「そうだな……よし」
 公孫賛は、顔を上げて一人の文官を見る。
「悪いが、任せても構わないか?」
 その言葉に頷いて返す文官に軽く微笑むと、公孫賛は次の話を始めた。
「報告のあった黄巾党軍の元へ斥候をまず放つ。それに続いて私たちが出陣する。それで構わないか?」
 公孫賛が一通り見渡すと、全員が返事を揃えて答えた。その場に異を唱える者は一人としていないようだ。
 そうして黄巾党に関する話は一段落を迎え、その後は、普段と特に変わらない内容の話が交わされた。

 †

 数日後、黄巾党討伐へと向かうため一刀は、趙雲や公孫賛と共に城門前へと向かっていた。そこで、先日のことを改めて訊いてみる。
「しかし、よかったのか? 白蓮が戦に出て」
「構わないさ、守備に関してもしっかり、任せてあるしな」
 公孫賛の顔からは、不安などみじんも感じない。それを見て一刀は彼女を信じ、もう尋ねるようなことは考えないようにした。
「そうか、そう言うなら大丈夫なのかな」
「あぁ、誰かさんの影響なのか、部下たちのやる気が高まってきて、今まで以上に、頼りがいが出てきてるんだ。そのおかげで、留守を任せるに値するほどまでになっているし、大丈夫だ」
「そうですな、皆、その誰かが他の者よりも努力し続けている姿に影響されましたからな」
 それほどまでに、影響を与えた人物とは一体誰なのだろうか。一刀には心当たりがない。
「なぁ、それって、どんな―――」
「よし、それじゃあ、星、一刀、それぞれ率いる部隊の確認をしてくれ」
 一刀が言葉を言い終わる前に城門前へ到着し、公孫賛から部隊確認するよう言いつけを受ける。改めて見ると、そこには大勢の兵が集まり、隊ごとに整列していた。
 自分の担当部隊へと案内された一刀は部隊の兵を一通り見渡す。
「これが、俺の部隊か……」
 初めて持った部隊に、思わず声が漏れる。ここに来てから今までも、何度か戦場には赴いたが、これまでの賊退治では、主に誰かの部隊に補佐として組み込まれていたため、一刀が率いる部隊というものを持ったのはこれが初めてだった。
 そんなことを感慨深げに思い出していると、隊を取り仕切る副隊長らしき兵がこちらへ歩み寄ってくる。見れば、それは初めて公孫賛と出会ったときに彼女と意見を交わしていた兵だった。
「北郷様、部隊確認できております。問題ありませんでした!!」
 副隊長は、やけに気合いが入っていて、一刀の身まで引き締まる。
「あぁ、ありがとう。それと、あまり気負わないでくれよ。無用な気負いは、戦場で思わぬ失敗に繋がりかねないからな。ほどほどに抑えてくれ」
 ガチガチに固まってしまっている副隊長の緊張を、何とかときほぐそうとしてみる。
「はっ! お気遣いありがとうございます。北郷様」
 より一層、固くなる副隊長、まったくの逆効果となってしまった。
「なぁ、その様を着けるのは―――」
「北郷様は、北郷様ですので」
 くい気味に答えてくる副隊長。どうも様付けを止めさせることは出来なさそうだ。
 ひとまず、緊張を解きほぐすのは諦め、公孫賛の元へ行き報告をする。
「よし、全部隊、問題ないようだな」
 確認をとった公孫賛が全部隊の前に立つ。
「いいか、これより我らは黄巾党討伐へと向かう。おそらく長期に渡る戦いとなるだろう。これまでの賊討伐以上だと思え! 自信の無い者は今からでも遅くはない、ここから立ち去れ! 私と共に行くという者のみここに残れ、そして、戦場でその勇敢なる魂を刃に込め、振るえ!」
「おおぉぉうう!」
 公孫賛の声に、呼応して兵たちの声が上がる。どうやら、抜ける兵は居ないようだ。
 今回は、義勇兵もかなりの数いるため、多少は離脱者が出ると一刀は踏んでいたのだが杞憂だったようだ。

 †

 一刀は出発して、大分進軍速度がおおよそ定まったと思われたあたりで、改めて副隊長に話しかけた。
「なぁ、どうしてそこまで緊張してるんだ?」
「戦場に出るんですから、緊張くらいはします」
「いや、そうなんだけど、必要以上に固い気がしてな」
「……そうですね、やはり北郷様の部隊に配属されたからですかね」
「俺の?」
 副隊長の言葉がいまいち飲み込めず、一刀が首を傾げる。それに苦笑しながら副隊長はその理由についての説明を語り始める。
「まぁ、ご本人は気付いていらっしゃらないとは思いますが、結構人気なんですよ北郷様は」
「俺が? 嘘だろ」
 一刀は自分を担いで居るのではないかと思い副隊長を見るが、その眼は嘘を含んでいるようには見えなかった。
「いえ、実際、兵だけでなく民衆も慕っておられます」
「そ、そうなのか?」
 そう言われるとどうにも背中がむずがゆい。
「えぇ、城内では一人一人の兵や、侍女、果ては厨房で働く料理人にまで気を配ってらっしゃる。その様に、気を配って頂いて、何も感じない者などおりはしませんよ」
 そう告げる副隊長の表情が少し柔らかくなる。どうやら、強張っていた身体がほぐれてきたのだろう。一刀はそのことを良かったと思うが、それよりも賞賛された事による照れくささの方が大きく。頬を掻きながら話を続ける。
「いや、別に普通のことだと思うけどな」
「いえ、そのようなことはありません。北郷様のように、忙しければ気を配ることなど普通はできません。しかも、やることはきっちりこなしておられるとお聞きしています。時には文官に混じり会議に参加、またあるときは武官や将と共に戦場へと向かわれる。その働きは、我らが太守様に次ぐ忙しさ、と、もっぱらの噂です。それだけのことをしておられるのに、それを普通とおっしゃられては我々の立場がありませんよ」
 副隊長に苦笑気味に言われ、一刀も苦笑いになる。
「いやいや、誤解しているようだから、一応言っておくけど、俺は別に何かしたわけでもなく、役に立っている訳でもないからな……」
 実際、大した活躍はしていないと一刀は思う。一応、色んな事に参加はしてはいる。その都度、一刀がしていることといえば、自分に出来ることを考えそれを実行に移しているだけだ、決して褒め称えられるようなことはしていない。
「またまたご謙遜を、北郷様と共に仕事をした者は、皆、良い表情をして北郷様のことを語っておりましたよ」
「…………」
 一刀は本格的に恥ずかしくなり口を閉ざした。
「それに、城内だけでもそれだけの事をしているというのに、さらには街へも気を配っていらっしゃるではありませんか。時折、警備隊に混じっては警邏を行い、街へ行けば民から街の様子を直に訊いて回る等々、民たちにも触れて回り、民衆の心を惹きつけていらっしゃる。一体どれほどのお心をお持ちなのか我々には、計り知れませんよ」
 そこまで言われたところで、一刀もさすがに限界を迎えた。
「ま、まってくれ、恥ずかしすぎるからもう褒めないでくれ。俺は、本当にたいしたことのない奴なんだ、どこにでも居るような奴なんだよ」
 一刀は自分の顔が熱くなるのを感じている。おそらく真っ赤に染まっていることだろう。
「ただ、事実を述べているだけなのですが……」
 きょとんとした顔をしているが、その瞳は至ってまじめなものであり副隊長からは嘘などついていないという雰囲気が感じられる。その様子から本当に言葉通りなのだということが伺えて一刀はさらに恥ずかしくなる。
「しかし、よくそれだけのことを調べられたな」
「まぁ、私自身が色々とその時の北郷様を目撃したというのもあるんですがね……あはは」
 そう言って副隊長は微笑んだ。
「そ、そうか……」
「えぇ、あとは個人的に北郷様を調査してたというのも……」
「え?」
「いえ、何でもありませんよ」
 急に小声になって呟いた副隊長の声がよく聞き取れず一刀は顔を向けて聞き直すが、それに対しては何も答えてはくれなかった。
「まぁ、なんにせよ北郷様に対して忠誠のようなものを誓う者すらきっとおりましょう」
「ないって、それは絶対ない」
「そんなことはありません。貴方はそれだけ様々な者たちの心をですねぇ――」
「いや、ほんともう止めて……」
「はぁ、そうおっしゃられるなら」
 一刀に関して語るのを本人に遮られ、副隊長は呆気にとられた様子で喋るのを止めた。そのことに安堵のため息を漏らした一刀は、ふと周りを見た。何故か部隊の兵がこちらに聞き耳を立てている。
「はぁ……」
 思わず、続けてため息を漏らしてしまう。こんな変な話を聞かれていたと思うと余計に恥ずかしい。そう思い頭を抱える一刀へ一人の兵が声をかける。
「御使い様、そんなに恥ずかしがらないでくだせぇ」
 その口調や声の感じや纏う雰囲気から、声をかけてきた人物が元々兵として働いていると言うよりも商売人だったように一刀には見える。おそらくは義勇兵の一人なのだろう。
「あっしらは、黄巾党の奴らと戦うために立ち上がりましたが、その多くは御使い様のために立ち上がったようなもんなんですさぁ」
 その言葉に、心が射貫かれたと思うほど感動する一刀。嬉しさの余り口角があがり、恥ずかしさの余り頬を赤く染める。
「そ、そうなのか?」
「えぇ、先程、副隊長さんが言ってたように、街にいる人間だって皆、御使い様に感謝しているはずですぜぇ!」
 そう言って義勇兵は渋い笑みを浮かべた。兵の言葉に一刀はやれやれと肩を竦めると、微笑を湛えたまま口を開いた。
「そっか……みんな、ありがとう」
 感謝の念を、この部隊にいる兵にだけでも伝えておきたく思った一刀は、その想いを安易ではあるものの、おそらく最も直接的に伝えることが出来るであろう言葉という形で表した。

 †

 それからも、兵たちに必要以上の緊張をさせないように会話をしながら行軍を続けた。そして、公孫賛軍はついに黄巾党の一派がいるとされる場所から三里程離れた位置まで辿り着いた。
 これ以上の接近は黄巾党に気付かれる恐れがあるため、その場に陣を敷き、軍議を始めることにした。
 軍議は、公孫賛による状況確認から始まった。
「さて、既に送っていた斥候からの情報によれば、あの山を超えたところに黄巾党によって占拠された町があるそうだ」
 公孫賛が斥候からの報告を元に敵に関する情報を整理していく。
「どうやら占拠しているのは黄巾党の一軍とのことだ。その兵数は二万程、それに対しこちらは一万。しかも、内三千は臨時に募った義勇兵だ。正直なところ、数ではやはり劣ってしまうのは否めないだろう。だが、奴らは正規軍ではない。あくまで軍の真似事をしている程度だ。そこを付けば、我らにとて勝機はある」
「つまりは、正規軍であるこちらが優位に立つことが可能な部分……"策を用いる"ことで戦いを制するって事か?」
「そうだ、兵数の差は"智"によって埋める」
「少々、よいですかな、白蓮殿」
 一刀の問いに対する公孫賛の言葉に趙雲が異論を挟む。それによって軍議に参加している者たちの視線が趙雲へ集まる。
「確かに、兵力差を知で埋めるのも良い考えだとは思います。しかし、この程度の兵力差ならば、私一人で、十分埋めることは可能なのですが、いかがですかな?」
「いや、確かに星が強いのは分かる。だが、お前一人に負担を掛けるつもりもない」
 そう言って首を横に振る公孫賛に、一刀も頷きながら続く。
「そうだな、あそこに居る奴らを倒した後も他の黄巾党の部隊も討つために、さらに進軍するわけだしな。それだけじゃない、どこから火種に火が付くかわからないんだ。だからこそ、こんなところで星に不必要な労力を払って欲しくはない。なにせ、星の強さは折り紙付きなんだ。そんな星が、本当に活躍するべき時に疲弊してたら困る……だから悪いけどやっぱり無茶はしないで欲しい」
 前の"外史"でも趙雲は一人で大人数相手に戦って見せた……途中で援護をしたため絶対とは言えなかったが、彼女の体力が大分削られていた。
 その辺りを"見てきた"からこそ、一刀は趙雲を止めたいという思いが強かった。そして、それは一刀の瞳にも映っていた……その何とも言えない一刀の視線を受けながら趙雲は笑みを零し、降参といった様子で肩を竦める。
「ふむ、お二人にそう言われてはしかたがありませぬな」
 趙雲が納得したところで公孫賛が再び口を開いた。
「よし、では話を再開するぞ。まず、町付近の情報についてだが、立地に関しては周囲を山に囲まれているようだ。そのため、町に近づくための道は入り口側の一本だけらしい。一応旧道がそこの反対に繋がっているらしいが、以前山で起きたという土砂の影響で塞がれてしまっている。つまり、真正面からぶつかるしかないということだ。だが、そうなれば、奴らを刺激してしまうこととなり、残っている町の住人たちに危害が及んでしまう可能性がある」
「なるほど、攻めるに難く守るに易い地形であるうえに、人質か……」
「あぁ、だからここは上手く動くことが必要なのだが……さて、どう動くか……」
 公孫賛が視線を地図へと移す。それに続いてそれぞれ机に敷かれている情報を元に作られた地図を見ながら考え始める。一刀はそこで、ふと思いついたことがあった。少し考えた後、それを話してみることにした。
「なぁ、逆に考えてみたらどうだ?」
 何気ない一刀の言葉にその場の全員が顔を上げ、一刀へ視線を向けた。その中から、代表として公孫賛が口を開く。
「逆とは、どういう事だ?」
「あぁ、山に囲まれていて攻めにくい。確かにそうだけど、逆に向こうも簡単には逃げることは出来ないってことだよな?」
「あぁ、確かにそうだ。だが、住人がいる以上、奴らが有利なのに変わりはないだろうな……」
「そうだな……そう簡単にはいかないよな」
 公孫賛の返答に消沈した声でそう呟くと一刀は再び地図へと視線を戻した。
 再び、全員で考え込む。そして、しばらく考えたところで一人が口を開く。
「人質が、攻められぬ要因でしたな?」
 趙雲が改めてそう尋ねる。その言葉に全員の意識が向けられる。
「あぁ、その通りだ」
 公孫賛がそう返答するのを確認すると、再び趙雲は語り出した。
「ならば、人質の安全を確保すればよろしいわけですな?」
 趙雲がそう言って視線を向けると公孫賛はただ黙って頷くことで答える。
「と、すれば簡単なことです。一部隊ないし二部隊で町の正門の反対側に位置する山より潜入し、それに会わせ、正面側の本隊が兵を誘き出します。その隙に、町の残存兵を潜入した部隊によって殲滅し、町にいる敵を制圧。そのまま町の開放を行ったうえで正門を塞ぐ。そうすることで黄巾党が戻れないようにすれば、先程、一刀殿がおっしゃられた通り、奴らは逃げ場を失うことでしょう。そうなれば奴らも必死になる……その動揺を突き、戦意を喪失させ捕らえれば良いでしょう……いかがですかな?」
 趙雲が是非を問うために全員の顔を見渡す。その説明を聞いた全員は頷く。
「なるほどな、基本はそれで良いだろう。後は、何時、そして誰が実行に移すかだな」
 公孫賛は趙雲の提案を認めると、次の議題をさらなる内容の突き詰めとした。
「潜入となると、やっぱり夜だろうな」
「あぁ、そうだな。それと、潜入経路は旧道を基本としても良いだろう。奴らも使い物にならないはずの道と思っているだろうからな。そうなると、一刀が言ったとおり夜の闇に紛れるのが良いだろう。よって、奴らを引きずり出すのは早朝……これに決まりだな」
「えぇ、早朝ならば、奴らも気を抜いているところでしょうからな」
 そうして方針が決まり、それからは、着々と作戦の詰めが行われていく。
「それで、潜入部隊をどうするかなんだが……」
「それは、俺に任せてくれないか?」
 一刀の言葉に全員が意外だと言わんばかりの表情で見つめる。その中で比較的驚きの少ない公孫賛が一刀に真意を尋ねる。
「ふむ、それはまたどうしてなんだ?」
「あぁ、多分俺は、正面からぶつかる部隊では役に立たないからな。だったら敵の残りを叩けばいい潜入部隊のほうがいいと思ってさ」
 一刀の言葉に、頷く者も居れば、頭を捻る者もいた。
「あーなんとなく言いたいことはわかった。だけど、潜入っていうのは……ある意味正面からぶつかるよりも危険が多いものなんだ」
「そうですな、本隊が引きずり出すのに失敗すれば、孤立してしまうでしょう。それに、本隊が動く前に見つかれば、救出は、ほぼ不可能となります。もちろん増援などは期待できませぬ。それ程に、厳しいものなのですよ。一刀殿」
 二人の言葉を聞き、潜入部隊の危険さを改めて認識する。だが、それを理由に引き下がるつもりはない。
「危険なのは、よくわかった。だけど……やっぱり俺は行く。きっと、今の俺に出来るのは、それだけだと思うから」
 それだけでは心許ないと思い、「それに、最近の俺って結構ツいてるから」と笑いながら付け足した。
「そうか……なら、仕方ない。北郷に任せることにする」
 公孫賛が、もう諦めたとばかりにため息を吐いた。
「まぁ、確かにお前なら、町の住人たちを無駄に混乱させることなく先導できそうだしな」
 公孫賛はそう言って、渋々ながらも一刀の申し出を承諾した。
「ふむ、では私も共に参りましょう」
「いいのか?星がこっちに来ても」
 念のため、白蓮に確認をとるべく顔を向ける。
「あぁ、そっちは一部隊だからな、星が入れば心強いだろう?」
「それもそうだな。星がいれば、作戦の成功確率もぐんと上がるだろうしな」
 そう答える一刀に公孫賛は頷き、すぐに全体へと視線を向ける。
「よし……それじゃあ、潜入部隊の構成は後々決めるとして、後は――」
 それから、潜入部隊の人数、山に入る時期の決定と、町につくまでのおおよその時刻の計算を行い、作戦は本格的なものへと変わっていく。

 †

 しばらくして、作戦は決定し、一刀は潜入に向け部隊の構成員として集められた兵たちに作戦の説明をしていた。
「――というわけなんだ」
「なるほど、それで我々がその潜入部隊として選ばれたわけですね?」
 一刀の説明を聞いていた兵たちの代表として、一刀の隊に副隊長として所属している兵が確認する。
「あぁ、正確には、潜入に向いている兵を各部隊からそれぞれ数名ずつ選抜して部隊を結成したんだ。みんなには悪いけど、俺たちに付き合ってもらうことになる」
 それ以上の言葉はなく、一刀はただ頭を下げる。
「止めて下さいよ、北郷様。我々は、ただ従うだけです。我らが君主、そして……貴方の為ならこの命惜しくはありません!」
 そして副隊長は、公孫賛……そして一刀へと順に視線を移したうえで、かしこまりながらそう宣言した。
「ありがとう、だけど、あまり自分の命を軽んじるような発言はしないで欲しい。もちろんみんなもだ」
「はっ!!」兵たちが躰を硬直させながら声を張ってそう答えた。
「それじゃあ、説明も済んだことだし、潜入に向けて各自躰を休めてくれ」
「はっ!!」
 一刀の言葉によって、兵たちは解散してそれぞれの天幕へと向かって行った。
「ふふ……中々凛々しいお姿でしたな。様になっていましたぞ」
 先程から隣で成り行きを見守っていた趙雲が、くすくすと笑い出す。
「やめてくれよ……それより、星も休んだらどうだ?」
 恥ずかしくて、一刀は早口になりながら趙雲を促した。それに苦笑しながら趙雲は頷く。
「そうですな、我々も休むといたしましょう」
 そうして趙雲も天幕へと向かっていく。それを見送った上で一刀も天幕へと向かった。

 †

「いよいよか……」
 横になりながら一刀は一人、思いに耽っていた。
(この世界に来てから……随分たったな……)
 公孫賛に拾われてからの事を頭の中で辿っていく。
 前の"外史"が終焉とやらを迎え、一刀はこの世界にやって来た。そして、公孫賛と出会った……それは同時にこの世界が一刀の知るものとは違うのだということを嫌と言うほど知らしめていた。
 それからすぐに趙雲との再会――彼女からすればただの出会いに過ぎない――があった。
 新たな生活は雑用を始め、色々な仕事を一刀に経験させてくれた……。
 そんな日々の中で、趙雲と同じく、愛しく、そして大切だった少女たちと出会った。もちろん一刀の事を彼女たちは知らなかった……だが、彼女たちと過ごしたことは一刀に懐かしさを覚えさせた。
 次は、彼女たちの旅立ち。そして、その理由でもある黄巾の乱の勃発……それこそ一刀にとっては起こることの分かっていた出来事だった。そして、これがこの大陸における一つの節目でもあるということもわかっている。
 ここからだ。ここからが、本当の意味で戦いの日々へと繋がっていく。一刀はそれを確信している。
(俺は公孫賛への恩返しのためにいるのか……それとも、彼女を"あの運命"から護るためにいるのか……いや、関係ないな)
 そう、一刀にとって間違いないのは彼女を護ると言うこと……そして、出来ることならば……かつて愛した者たちの幸せを造り上げたいということである。
「取りあえずは、目の前のことを解決しないとな……」
 そう、今一刀が気にすべきは黄巾党によって苦しめられている人々のことなのだ。そう思いながら一刀は瞼を降ろす。
 そのまま一刀は、翌日の決行を思いながら眠りについた。

 †

 軍議の翌日の夜、一刀たちは裏山へと向かい行軍を開始した。初めはあえて迂回するように動き、ちょうど町の正門と反対の方角と思われるあたりで山の麓へと続く旧道へと入って行く。
 それから特に何の問題もなく山の麓まで辿り着いた。趙雲が到着したところで、一刀の方を向く。
「さて、もうそろそろ二手に分かれるといたしましょう」
 趙雲が、自分に割り振られた兵たちを集結させ、一刀のたちとの分割が完了する。
「あぁ、次に会うときは町で……だな」
 そう、前日の軍議で潜入部隊の二分割化が決定したのである。
 まとまって向うと、動きが制限されてしまう可能性があり、そうなると公孫賛軍全体の作戦が停滞することとなってしまう。それを避けるためという理由。
 また、二つに分割することによって、片方が何か支障をきたしたとしても、もう片方の隊が時間までにたどり着けるようにという、所謂危険度の減少を計るという意味合いも含ませるという理由によるものだった。
 そして、この作戦のもう一つの狙いというのが、一刀と趙雲で隊を分けることによって、進行を迅速なものにしてより円滑に町へと向かわせることだった。
「それでは……私も行くとします」
 兵たちを山へ向かわせ、それに続くように趙雲も歩み始める。が、何かを思い出しように一刀を振り返る。
「そうそう、くれぐれもお気をつけ下され。山の中には、何があるかはわかりませぬぞ……それこそあらゆる可能性の考慮が必要なほどに。それ故、くれぐれも注意してくだされよ」
 趙雲はあまり見せない真剣な表情で忠告をする。一刀は思わずごくりと唾を飲み込んだがすぐに気張りすぎないよう息を吐くのと共に躰から力を抜いた。
(この世界に来てからの日々でわかったけど、俺だってそれなりに経験を積んでるんだ……少なくとも一度、戦乱の始まりから終わりまでを生き抜くくらいには……だから、きっと今回だって無事に切り抜けられるはずだ)
 そう自分に言い聞かすと、一刀は趙雲へと返事を返した。
「あぁ、わかった気をつけるよ。星こそ気をつけてな」
「えぇ、では今度こそ。……よし、趙雲隊、我に続け」
 兵たちの先頭に出た趙雲が声を抑えながら号令を掛ける。
「応」兵たちも控えめな声で返事をした。
 そんなやり取りの後、趙雲たちが山へ入り始めたのを見た一刀は、自分の隊へと視線を向ける。
「よし、それじゃあ、こっちも進軍開始といこうか」
「はっ!」北郷隊の兵たちも、いつものように声を張り上げるようなことはせず、静かに応えた。
 控えめにやり取りを交わした北郷隊も山へと向かった。

 †

 空に浮かぶ月がもたらす白い光が、木々の合間を縫って大地に降り注ぐ。それを躰に浴びながら一刀の隊は、山の頂へと向かっていた。
「くそっ、思った以上に木々が生い茂ってるな」
 体に絡みついてくる木の枝や、草をかき分けながら一刀がぼやく。それに苦笑しながら副隊長が答える。
「そうですね。しかし、その分我らの姿は隠れますよ」
「まぁ、それもそうだな」
「えぇ、しかし、今、一体はどれ程の時間が経過したのでしょうか? あまり時間を掛けるわけにはいきませんよね」
「そうだな、確かにあまり遅くなるわけにもいかないからな」
 副隊長の言葉に一刀は僅かな焦りを感じ、歩く速度を速めていく。それに合わせて隊の速度もまたあがっていく。
 黙々と進み、微妙ながらも木の枝をはじめとした障害物のないところに差し掛かったとき一刀は空を見上げた。
「……現在は……月が真上に掛かり始めているところか。それなら、まだ大丈夫だろう」
「そうですね。しかし、そろそろ頂上についてもよさそうなのですがね」
 副隊長と言葉を交わすことで、登頂による体への付加が減っているように一刀は感じた。やはり、会話をすると気が紛れるのだ。
 そして、ようやく頂上が見えてきたというところで互いに言葉を減らしていき様子を見る。
 伏兵などがいないことを確認しつつ頂上へと辿りついた一刀たちは休憩もかねて、村へと視線を巡らした。
「よし、村はあそこだな」
「えぇ、やはり裏手には兵はあまり居ないようですね」
 副隊長の言うとおり、村の正門には見張りの兵が警戒を怠らず見張っているが、裏門側には一人、いや左右一人ずつといった様子しかなく、警戒が薄いことがよくわかる。どうやら裏手に当たる箇所にはあまり警備が配置されていないようだ。
 その裏門を担当している気休め程度の兵も油断しているのかすでに舟をこいでいる。
「あれだったら他の奴に気付かせることなく対処出来そうだな」
 それを確認すると、一刀は隊の面々にしばらく休憩をするよう命じた。
「北郷様……上手くいきますでしょうか?」
「さぁな。ただ、俺たちがやるしかないんだ。なにせ、成功するかどうかは俺たちにかかっているんだからな」
 隣に腰掛けた副隊長の言葉に一刀は握りしめた拳を自分の胸の前に突き出しながらそう答えた。
「ふふ、やはり北郷様は他の者たちとはどこか違いますね」
「そうか?」
 何故か微笑を浮かべている副隊長を見ながら一刀は首を傾げた。
「えぇ、正直なところ、やはり北郷様の隊に入れたことはとても幸運だったのだと改めて思いましたね」
「……なぁ」
「はい、なんでしょうか?」
「なんで、俺のことをそんな風に見るんだ?」
 ずっと一刀は気になっていた。北郷隊を初めて見て副隊長と再会したときからずっと一刀は称えられていた。
「初めてあった時は、公孫賛が俺を拾うのをあんなに反対してたし、その後もどこか不機嫌なままになるほど俺のことを警戒してたはずじゃなかったか?」
「……そうですね。確かにあの時、北郷様に対してもの凄い警戒心を持っていました。正直に言えば、あれからしばらくはずっと持ち続けていましたね」
 苦笑しながら自分の心情を吐露する副隊長に一刀は面食らってしまう。
「そ、そうなのか……ならなんでだ?」
「実は、その警戒心がかえって真実をこの瞳に移させたのです」
 そう言うと副隊長は空を見上げた。その顔が月明かりに照らされ僅かに発光しているように見えた。そんな副隊長にならって一刀も夜空を仰いでみる。
「隊が結成されるとき、言いましたよね……個人的に調査をしていたと」
「あぁ、そう言えばそうだったな」
「その言葉通り、北郷様が我らの本拠へと来てから何日もの間、暇があればその様子を影から見張っていました……」
「げっ、そ、そうなのか? 気付かなかった……」
「申し訳ありません……やはり、当時は過剰な程の警戒をしていましたもので……」
 そう言って副隊長は申し訳なさそうに頭を下げた。それに対して首を横にふりながら一刀は口を開く。
「いや、それは悪いことじゃないだろ。だから、謝らなくていいと思うぞ」
「え?」
「正直、俺も公孫賛が下したあの判断にはあっけに取られたからな……あはは。だいたいさ、普通は怪しい人間をほいほいと連れ帰ることはしないだろう……特に自分の本拠になんて」
「そ、そうですね……いえ、そうなのでしょうか?」
 副隊長は最初、頷き駆けたがそれがすなわちどういうことかに気付いたらしくすぐに疑問へと変更した。
(さすがに自分の君主を変な奴扱いは出来ないか……くく)
 慌てふためく副隊長によってこみ上げてくる笑いを堪えつつ一刀は続きを語り始める。
「だから、俺を警戒してたってのは悪いことじゃない。むしろ、それこそ正しい判断じゃないかと思う」
「まぁ、初めはそう思っていたんですよ……ですが、北郷様を見ている内に何だか自分が醜く見えてきてしまって……」
 副隊長はそこまで一気に言うと、顔を逸らして鼻を啜った。
「北郷様は、もの凄く努力をされていました、常に周りを気遣っておられました、様々な者の心を正面から受け止めていました……どれも真似る事など出来ないと思える程でした……」
「そ、そうかぁ?」
 一刀は、照れくさくなり頭を掻きながらそう答える。
「そうなのです! 北郷様は思っていた以上に素晴らしい方でした。そして、そんな御方を疑っていた自分が嫌になりました……でも、同時に貴方と共にこの軍で戦えることを誇りに思えました」
「え、えぇっと……」
「そして、今回初めて組まれた北郷様の部隊に配属となりました……それ故、嬉しく、そして気合いが入りました」
「そ、そうか……」
 熱く語る副隊長についていけず一刀はただ頬を掻くだけだった。
「本音を言えば、今この心の中における北郷様の位置は我が君主と同格です」
「そ、そこまで!?」
「はっはっは、それほど尊敬に値する人物と見極めたのですよ」
 妙に愉快そうに笑う副隊長。対する一刀は狼狽していた。
「そ、そうなんだ……あ、それよりさ。もう一つ気になってたことがあったんだよ」
「なんでしょう?」
「確か、初めてあった時は白馬隊所属じゃなかったっけ?」
 そう、確かに当時の副隊長は白馬に乗っていた。つまりは公孫賛軍の主力であったはずなのだ。それが何故一介の新設部隊へと異動となったのか、話をしている内に一刀の中でそれがひっかかり、しだいにもの凄く気になるようになっていた。
「実はですね……これも命令でして」
「白蓮のか?」
「えぇ、それも直にです。白馬隊の中では一応指揮を執る立場にあったのですが……どうもそこを買われたようで――」
「ちょ、ちょっと待った! 今明らかにおかしかったぞ。白馬隊のた、隊長だったってことだよなぁ?」
「はい、そうですけど?」
 あっけらかんととんでもないことを述べた副隊長に一刀はひっくり返りそうになる。
「ど、どういうことなんだ……」
「実は……『今度、一刀を隊長とする北郷隊を結成させる予定なんだが……悪いがお前に手伝って貰いたい』と言われませしてな」
「そ、それで?」
「何故かと問い返したところ『いや、あいつはなぁ……それなりに使える奴だとは思うんだがはっきり言うと、指揮経験がないのでな……心ぱ――いや、不安なのだ。だから、指揮を執る立場にある者の中で私が最も信用できるお前に是非ともあいつの補佐をして欲しいんだ。まぁ、副隊長という立場になるし、主力から新規部隊へ移るわけだから端から見たら降格扱いのようなんだが……頼めないか?』とすがるように見つめられてしまいまして……」
「は、はは……ぱ、白蓮の奴……」
 話を聞けば聞くほど公孫賛の自分への過保護ぶりが明らかとなり、一刀は顔をひきつらせていく。
「さすがに……というか、正直こちらとしても望ましい話だったので快諾させていただき、今日に至るというわけです」
「はぁ……よっぽど信頼されてないのか、俺は?」
「そう、肩を落とさないでください。少なくとも見た限り、あれは北郷様を何よりも……それこそ主力である白馬隊よりも大事に思っておられたからこそのようでした」
「そうか……うぅん」
 公孫賛が実際どんな思いで副隊長にそんなことを頼んだのか、それがわからず一刀が唸り始めたところで副隊長が「あれ?」と声をあげた。
「ん? どうした?」
「あの……どうも、話しすぎたようですよ」
 そう言いながら副隊長が上を指さす。それに従い一刀も空へと視線を向ける。休憩を始めた時よりも月が大分動いていた。
 それがどういうことか理解したところで一刀は立ち上がり兵たちを見る。
「よし! それじゃあ、そろそろ降りるとしようか」
「はっ!」兵たちは待っていましたとばかりに揃って張った声を返した。
 気がつけば、月も一刀たちの真上を過ぎており、既に西へと傾いている。どうやら、思っていたよりも時間を消費していたようだ。そのことが一刀の中にある焦燥に再び首をもたげさせた。
「少し、急いだ方がいいみたいだな……よし、少し急ぎで降りるぞ」
「し、しかし、危険なのでは?」
 副隊長が不安げな声と表情で一刀を制止する。
「確かにな。多少は、危険かも知れない。だけど、時間もあまりないんだ。だから、悪いんだけど急ぎで山を降ろう。もちろん気は今まで以上に張るべきだとうは思うけどね」
 そう言いつつ一刀は、自分の手段に妙な自信を持っていた。これまでも何とかなってきたのだ、まさか今回失敗するなんてことなどない。そう信じて危険を冒すことをやむなしとして、速度重視の進行を試みることに決めた。
「わかりました。皆のもの、聞いたとおりだ。気を引き締めながらも、急ぐぞ」
 一刀の言葉に頷くと、副隊長はどこか緊張した面持ちへと変わり、隊の面々へと声をかけた。それに隊の兵たちが「応!」と答える。
 それを確認した一刀と副隊長は隊全体の前進速度を上げていった。
 その後は、ただただ、山を下り続けるという作業だった。多少の枝や草など気にもとめず、ただひたすらに前へと進み続ける。
 ある程度進み続けたところで一刀は、ふと周囲の兵を見回してみた。無理な進路取りをしてきたために多くの兵に擦り傷などが見られた。
 かくいう一刀自身も、傷だらけな状態だった。
 だが、もちろんそんなこと気にしてなんていられない。故に一刀は思考を打ち切って再び速度を上げながら進み始める。
 それから進み続け、山の中腹まで降りたところで一刀は再度空を見上げる。月はまだ沈んでいないのだが、今まで全体をその暗闇によって支配されていた空に光が差し始め明るさを手にし始めている。
「まぁ、この調子なら何とか間に合うかもしれないな……」
 なんとか、ここまでこれたことに安堵のため息を吐くと一刀は次の指示を出す。
「よし、それじゃあ旧道に少し近づこう」
 空に明るみが出たことで山もちらほらと明るさを取り戻す部分が現れ始めているが、奥まった場所は未だに暗いままであり、時間短縮のために無理矢理進んできた一刀たちはその奥へと踏み込みすぎてしまっていたのだ。
 時間に余裕が出た今、無理に足下の安定しない道を進む必要などない、そう判断した一刀は隊を引き連れ旧道との距離を詰めていった。
 そして、旧道をかすかに見ることの出来る位置まで来たところで一刀は再び町へと向かって前進を試みる。
「よし、どうやら土砂で埋められた箇所は抜けたようだな。きっと、このまま行けばきっと合流できるはずだ」
 旧道を見つけた際、一刀の視界に頂へと続く道を塞いでいる土砂が入り込んだのだ。
(気付かないうちに土砂も超えてたしこれは結構いい感じなんじゃないか……ん?)
 楽観的な思いを抱き始めた一刀は、踏みしめた地面に妙な違和感を覚えた。それは、今まで通ってきた上で踏んできた山の土や草などではない別の何か、その異物を一刀は足の裏に感じていた。
「これは……何だ?」
 不思議に思いながら一刀は数歩進み、違和感の正体を確認しようと立ち止まった。そのまま振り返ろうとした瞬間、一刀が違和感を覚えた位置を中心に土や草――むしろ地面全てが沈んでいった。その沈下に一刀を含め数名の兵が巻き込まれていく。
「う、うわぁぁああ!」
 隊の中でも中央にいた数名の兵たちから叫び声をあがった。そして、その動揺は一気に周囲の兵にも伝わっていく。隊の兵たちの悲鳴が交錯する中、一刀は一体何が起こったのかを判断する。
「し、しまった! 罠か!!」
 崩れる地面に巻き込まれて落下を開始したところでようやく一刀はそれに気が付いた。
 だが、もう既に遅い。
 足下の地面が無くなった事による浮遊感に包まれながら闇と光の混じった空に手を伸ばした一刀の脳裏に、趙雲の言葉が過ぎる。
『そうそう、くれぐれもお気をつけ下され。山の中には、何があるかはわかりませぬぞ』
 今さらながらに、その言葉を告げた時の趙雲がこのことも含め、何かしらの危険が潜んでいるであろうことを自分に忠告をしていたのだと一刀は気付かされた。
(くそぉ、せっかく星が忠告してくれたって言うのに……最近、上手くいってたってだけで、今度も、何とかなるだろうなんて思って俺は……)
 地面に空いた穴、その奥へと続く暗闇へと一刀の躰が吸い込まれていく。
(あぁ……俺の馬鹿野郎……)
 後悔に苛まれながら一刀は、自分の躰から浮遊感が消え、重力による落下が訪れ始めたのを感じていた。




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